肩越しに君をみる


ごろり、とジェクトは自分の腕を枕に寝そべった。見上げる空は青く高く、雲はおだやかに流れている。時折そよぐ風は心地よく、素肌の背に引いた草も優しくジェクトを受け止めている。
絶対に安全な領域、とは言えないが、今のところ敵の気配もなく、無防備にもジェクトはそのまま目を瞑った。敵が来ればすぐに動ける自信があるからこその行動。そしてジェクトは、誰が見ていないとわかっていてもこういったパフォーマンスすることを好んでいた。
しかし目を閉じて幾許もない間にさくり、と草を踏み分ける音がした。その音は小さく、風が吹けば紛れてしまうような音だった。しかし意図して音を抑えているわけではない。元来そういう歩き方なのだろう。
片目を開けてジェクトはこの静寂を崩す足音の主を待った。
さくり さくり
黒い皮の靴。それに同化するようなパンツが伸び、やがて銀に光るバックルで止まる。その先は見なくてもわかっていた。胸元に大きく切れ込みの入ったインナーとその上で威嚇する獅子。細い首の上には身長の割に小さな造形をした顔がすかした表情でのっているのだ。
スコール・レオンハート。17歳。傭兵。
低く静かな声でスコールはジェクトの名前を呼んだ。
「寝ていたのか」
歳の割に落ち着いている、という周囲の評価をジェクトは笑う。自分の行動によって相手がどう思うのか、そればかり気になって行動はおろか、声に出すことすら躊躇うような子どもじゃないかと。
整った顔と大きな傷と、動かさなかったせいで固いままの表情筋が上手に隠しているだけだ。
「いや、寝ようと思ったらお前が来た」
態と邪魔されたと言外に告げれば、下を向いてきゅ、と口唇を噛み締める。表情をくるくると変えて怒鳴るのもわかりやすいが、普段が無表情なだけにその一挙手一投足を注意深く見てさえいればスコールも意外とわかりやすい。
そこに子どもらしさを見出して、ジェクトは低く笑った。
「オラ、来いよ。散歩しにきたわけじゃねェんだろ」
スコールが口を開く前に命じる。そうやって強く言えば、職業柄かためらいがちでもスコールが従うことを知っているのだ。
ゆっくりと革靴が近づいてくる。脇腹の近くまで進んで、そこで止まった。
ジェクトがいるとわかっていて態々来たにも関わらず、スコールは困ったように眉を下げて動かない。
苦笑してジェクトは腹筋だけで起き上がると、だらりと垂れたままの腕を取り、引く。
「!?」
見開いた目に、バッツやらジタンやらの気持ちがわかる気がした。その無表情を崩して青い目にもっと色々な色を映させてやりたくなるのだ。
脇腹に衝撃。ガッと音を立ててつま先が当たり、たたらを踏んだスコールが横たわるジェクトを跨いでバランスを崩し、べしゃ、と座り込んだ。
予想していた重みより幾分か軽い、と思いながらジェクトはスコールが逃げないように腰を掴んだ。
「………アンタ、一体何がしたいんだ」
はーっ、と長い溜息をついてスコールが零す。
ジェクトはといえば、掴んだ腰の細さに表情には出さないまでも随分と驚いていた。
同じ歳の子どもよりも高い身長と重量感のある武器、そしてファー付のジャケットで誤魔化されていた。筋肉で引き締まっている身体だからこそ、余計に細く感じる。
裾の長いインナーをぐ、とめくってやれば、予想通りきちんと割れた腹筋が見えた。
「っ!!何やってるんだ!?」
慌てて裾を持つ手を振り払うと、スコールはその太い手首を掴んで頭上に押し付ける。必然的に目の前にはジェクトの顔。茶色い髪が外界を遮断するように垂れてくる。
「何が、したいんだ」
「あーったよ。悪かったって」
押さえつけられた腕の力を抜き、無抵抗をアピールする。胡散臭そうな顔で眉を顰めたが、数秒悩んだ末スコールは腕から手を放した。
身を乗り出していた姿勢を正すかと思えば、ぺたりとジェクトの腹に腰を落としたまま。居心地悪そうに身じろぎするものの、そこからどく、という考えはないらしい。
警戒心が強い割に流されやすい。話をしたいだけならば、隣に座っていても立っていてもどこでもできることなのに。
訪ねてきたのはお前だ、とばかりに傍観の姿勢を崩さないジェクトは、スコールの青い瞳があちこちさまようのを楽しげに眺める。
たとえば、ここで自分の子どもならば腹に拳を入れて怒鳴り出すだろうということだとか、きっともっと体重があるだろうとか、太ももや腕の筋肉の付き方が傭兵とスポーツ選手では大きく違うとか、そんなことをとりとめもなく想像していた。
実物と比較できたことは、未だない。
彷徨うスコールの視線が、不意にジェクトの鍛えられた腹筋から胸にかけて刻まれた刺青を辿りだす。
それはスコールにとって見覚えのあるマークだった。
グローブに包まれた指先を刺青に落とす。同じ黒だが、グローブと刺青とでは随分と違った。刺青の黒は日に焼けた肌の上でもはっきりとわかる。
スコールが黒を好む理由は、ただ単に落ち着くからだった。明るい色は自分には似合わないと思っている。性格からして無理だ。
ただジェクトの刺青を見ていると、黒という色は何物にも染まらずに存在を主張する色なんだなと感じる。どんな色を乗せてもきっと、すべて飲み込んでしまうのだろう。
そう思った瞬間、触れたくて仕方なくなった。
まずは自分が下敷きにしているあたりから。首に向かって伸びていく2本のライン。左へ行くと行き止まりなので先にそちらに指を這わせた。
つ、と昇っていく指に、最初は何事かと眺めていたジェクトから不満の声が上がる。
「それ、外せ」
「……グローブのことか」
「あぁ。なんっか引き攣るカンジがして良くねぇ」
「わかった」
手早く両手のグローブを外し、傍らに投げる。
もう一度、静かに触れた指先に反応してジェクトの腹筋が震えた。
「冷てぇ」
「悪かったな」
言葉ほど悪いとは思わず、スコールは指を進める。
刺青を辿れば、筋肉の隆起と縦横無尽に走る傷跡が否応なく意識された。
「どうすればこんなに筋肉がつくんだ」
「あー?んなもん日頃の訓練の成果だ」
「アンタ、スポーツ選手だろ。なんだこの筋肉。いい歳のくせに」
要は自分の肉付きと比べての嫉妬か、とジェクトは聞き流すことにした。確かにスポーツに必要な以上に身体が鍛えられているという自覚もあった。スコールの父親以上だという自覚も。
「身長、いくつだ」
行き止まりの刺青から戻り、胸まで伸びるラインに進路を変えた指先を動かしながらスコールが問う。
「あー…190くらいじゃねぇか」
「………」
「いってぇな」
スコールが無言で爪を立てた。
「お前はいくつなんだよ」
「177。俺の方が2cm高い」
得意げな響きは錯覚ではないだろう。ジェクトからすればどんぐりの背比べ、というやつだ。それ以前にたった2cmしか差がないのが意外だ。縦に長い印象があるせいか、もっと差があると思っていたのだ。
ちゃんと素足で測ってるんだなとか、ヒールを足したらもっとあるだろ、などというからかいの言葉を、懸命にもジェクトは飲み込んだ。ちょっとした悪ふざけで失うには、まだこの重みが惜しい。
「この傷、どうしたんだ」
右脇から胸にかけて走る大きな傷跡をスコールがなぞる。
先ほどまで刺青の上を行ったり来たりしていたのに、なんとも気まぐれである。
「忘れちまったよ。そっちこそ、額の傷、覚えてんのか」
「忘れた」
するり、とスコールの指が胸を撫ぜて首に絡む。
親指はのど仏の上。残った指はうなじに向けて優しく伸びる。
傍から見れば、まるで馬乗りになったスコールがジェクトの首を絞めつけているように見えるだろう。
「アンタは大人だな。俺がこんなことしても何も言わない。背も高いし、身体鍛えてるし、無駄に構わないし、でも拒絶もしない」
「お前さんが素直で人の話を聞いて傍に寄ってくるからだろ」
誰と比べているか、言わないのは態とだ。少なくともスコールは、意地でもその名を出さない。
体温の低い手がジェクトの喉を包んで、熱を下げる。拘束はゆるやかだ。
「殺したいくらい憎いか?」
「さぁ。覚えていないからわからないな。アンタは殺されたい?」
その問いは、ジェクトに重く響いた。耳鳴りのように歌が、聞こえた気がしたけれど、正体を掴む前にスコールが手を放してしまう。
「この刺青、知っている」
首を絞めようとしていた手で再度、刺青に触れる。
先ほどまでの興味に満ちたものではなく、何か神聖なものに触れるかのような手つきだった。
陣営を違えても変わらないもの。それがこの刺青であり、身に着けたネックレスとピアスである。
父と子と言えど、髪の色も目の色も違う。記憶すらあやふやだ。まして敵と味方に分かれた仲で、それでも繋がりを感じられる唯一のもの。
それはジェクトにあってスコールにはないものだった。
「話、しないのか」
「男は拳で語るもんなんだよ」
不器用なだけだろうと、スコールが微笑う。けれどそれは、ジェクトにしてみればまるで泣き顔だった。
「アンタが相手だったら、俺だってもっと上手く…」
ひとり言に近い呟きは小さく、すぐに途切れて聞こえなくなった。
それは血が繋がっていないからだろ、とジェクトは言うことなく、ただ胸に伏せたスコールの髪を無骨な手とは不釣り合いな優しさで何度も撫でた。










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