17.珈琲


日が長くなったとはいえ、6時を過ぎればさすがに薄暗い。通気性のよいジャージでは肌寒いくらい温度も下がっている。
昼間、胴着と面に固められていた時の蒸し暑さとは雲泥の差だろう。もっとも、指導する側の俺は今と同じジャージだったからわからないが。
寒いと感じるとすれば俺ではない。最後まで几帳面に試合の記録をまとめ、視線の先で鍵が締まっていることを確認するあいつだ。
うちの部で一番強い、スコール・レオンハート。
同じ学年の奴らとは比べものにならないくらいバランス良く鍛えられた身体、上背もあるし反射神経もいい。隙を見逃さずに一本を取りに行ける集中力もある。
しいて欠点を上げるなら、積極的に人とかかわりを持たないことぐらいだろう。
それでも性格が壊滅的に悪いわけでも全く話さないわけでもないから、慕うやつらは結構いる。転入してからの途中入部で部長に推薦されるぐらいには、人望があるといっていい。
寡黙で部長としての仕事をきっちりとこなしてくれるこいつのおかげで、俺も指導や遠征試合の調節がしやすくて助かっている。
ただ。

「おい……終わったぞ」

ぼんやりと眺めていれば、戸締りを終えた部長が目前にいた。
別に戸締りの確認は俺の義務ではないが、一人残して帰る気にもなれずに待っていたんだった。
「……あぁ、お疲れ」
「べつに、いつものことだろ」

ただ、俺もこいつも話すのが苦手だ。
必要最低限の言葉しか交わしていないと思う。これまでの部長や今の部員も、歳が近いこともあって気さくに話しかけてくるし俺もそれなりに応えている。
嫌われているわけでもないと思うが、天気と部活の話以外でこいつと何を話せばいいかわからない。
頼りになる部長として感謝もしているし労ってやりたいとも思う。大人びている分、余計に。
さて何を話せばいい。黒塗りの車が時々迎えにくるのはなんでだとか、額の傷は転校した学校で部長にやられたという噂の真偽とか、転入してきた黒髪ロングの女子はおまえを追ってきたって本当かとか。
どれも上手くなくて溜息がでる。年上なのにな。

「なんだ」
「ん?」
「何か、言いたいことでもあるんじゃないか」
立ち止まったスコールの目は揺らいでいた。
無愛想で、切れ長の目で前を見据えている姿ばかりが浮かぶのに、その表情はどうした。
「なんのことだ?」
「………溜息、ついただろ、いま。今日の試合で何か言いたかいことでもあるのかと、思っただけだ」
口早に言うとふっと視線が逸らされた。

今日の試合はいつも通りだ。交流試合をして、勝った。怪我もしていないし、調子も悪くない。次の地区戦で同じ動きをしたら指導するが、相手のレベルに合わせて、上手に早すぎない勝ちをとったと思っている。
いつも通り、大将のスコールが中堅以降を倒して勝ちをおさめた。それだけだ。
スコールの実力が突出しているのは皆が認めるところで、かといって部員が大将による勝ち抜き勝利にあぐらをかいているわけでもなく、少しでも追いつこうと真面目に練習している。
コーチの欲目抜きに、まとまっていて向上心のある部だと思う。
だから今日、特別言いたいこともないし、溜息の理由は全く別だ。

これを上手く口に出せればいいんだが、部活の指示や向こうからの意見は祖語なく通じるのに、それ以外で上手くいった試しがない。
また溜息が出そうで慌てて飲み込む。
叱られるのを待つ子どものような、下をじっと見つめる横顔にこれ以上痛みを与えたくはないんだ。
行き場のない視線をさまよわせれば、光が見えた。

「待っていろ」

点在する街灯よりも明るい自動販売機。
炭酸、ジュース、お茶にコーヒー紅茶。ホットとアイスまで数えれば20くらいあるだろうか。あまり待たせるわけにもいかない。視線が背中を追っているんだ。
コーヒー。寒いだろうからホットに決めて、微糖と無糖を一つずつ買う。
駆け足で戻れば、怪訝そうな顔が待っていた。
「どちらがいい」
右手に微糖、左手に無糖を持って選ばせる。
高校生のプライドのためにカフェオレではく無糖を買ってみたんだが、左右に視線をさまよわせて考えた結果は右手の缶だった。
微笑ましさを誤魔化すためにプルタブを開ける。カシュと音が続いてスコールも一口飲んだようだ。

「お疲れ」

下手に何か言うより、言わない方が少しはマシだろ。
不愉快だが俺より僅かに高い頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと思いきり撫ぜてやった。
「や、めろクラウド!」
軽い力で振り払われた手の向こうで、くすぐったそうな、控え目だけれど確かに笑顔が見えた。
「……ありがとう」
風が吹けばかき消されそうなくらいの声量だったけれど、不思議とはっきりと声が聞こえた。
「帰るぞ」
試合後に頭から被っていた水がまだ残っているんだろう、乾ききっていないしっとりとした髪にもう一度手を入れた。
僅かに口の端を上げて目を細める顔を、もっと見たいと思った。
明日は、微糖とカフェオレの二択にしよう。










inserted by FC2 system