あるいは三番目の花嫁


「結婚しようか」
夕食を食べて、食後にコーヒーを淹れたところだった。
なんとなくつけていたテレビからはリリースされたばかりの女性ボーカルの歌が流れている。
緊張した様子もなく、返事を期待するそぶりも見せず、例えば明日でかけようかと誘いをかけるような、そんな気安さでもってかけられた言葉。
なにかの冗談か、言葉遊びか。そう言って返してやればいいのだ。
けれどラグナの瞳だけはどこまでもまっすぐで、動揺を見透かされたくない俺は、俯くしかなかった。
「エスタの法律は同姓婚も近親婚も認めていないはずだが?」
「そうだっけ?」
「そうだろ」
たぶん、とは心の中でだけ付け足した。下手な反論だ。それはラグナも絶対にわかっている。
「ふぅん?」
それ以上、何も言わないのは、機嫌を損ねたせいか、寛容にも見逃してくれたからなのか。顔を上げられなくて、声色だけでは判断できない。
ラグナは抜けているようで、一国の大統領にまで上り詰めた男なのだ。腹芸なんて飽きるほどやってきただろう。相手取って真意を探るなんて、無理だ。
二人掛けのこのソファはほどよく身体が沈む。腹も膨れた。コーヒーの良い香りもしている。いつもならばくつろげる時間のはずなのに、こんな状態で二人で座っていても、リラックスできるはずがない。
いっそのこと逃げ出したかったけれど、もし機嫌を損ねていたらと思うと怖くて立ち上がれない。明日の夜には発たなければならないのに、喧嘩別れなんて嫌だ。これが喧嘩と言えるのか、わからないけれど。
ガチガチに固まった肩に、不意に手がかかって引き寄せられた。
「………?」
 肩を抱かれて、俺の頭はラグナの右肩の上。ぽんぽんと、まるで子どもを宥めるような仕草であやされる。
それが余計に、ラグナの顔を見れなくさせる。
「こないだ、結婚式に出たんだ。エスタの、国のことを真剣に考えてる真面目なヤツで、このまま国と結婚するんじゃないのかって笑ってたんだけど、実は前から恋人がいたんだと。まぁからかわれるのが嫌だったみたいだな」
珍しく、回りくどい話だ。
ラグナの手はいつの間にか俺の頭を撫でるように髪を梳いていて、少しずつ肩の力が抜けていく。気を反らさせたいのか、引きたいのか、どちらかにして欲しい。
「時々強い風が吹く以外には、天気は良かったし季節も良いしで、久々に出たけど良い式だったよ」
少しだけ余裕ができて、寄り掛かりやすいように腰をずらしてラグナに近づく。
「ブーケトスがあったんだ。独身の女性は前へどうぞってやつな。新婦の友達がカラードレス着て楽しそうにして、華やかだったよ。そこまではよかったんだけどさ、ブーケを投げた時に丁度風が吹いて………なんかオレがとっちゃったんだよなぁ」
「………は?」
思わず声が出て、ラグナを見上げてしまった。ようやく目があったなって、露骨な顔。けれどそれは呆れた風ではなくて、笑顔を見せて頭も撫でてくれた。
「面白いだろ〜」
そういった場に出席したことはないが、どれだけ場が凍りついたかぐらい想像できる。取り損ねたならまだしも、男性が、よりにもよって大統領がキャッチするなんて、とんだ惨事だ。
「えっ次はオレが結婚できるの?って言ってみたんだけど、誰も笑ってくれないんだよな〜ひどいだろ?」
「……下手したら不敬罪だろ」
「そうか?ま、結局披露宴に出席できないから一言お祝い言わせてってお願いして、お祝いして写真とってもらってブーケは返して、イッケンラクツキになったんだけど」
「………無事に終わって良かったな」
「うん。それでさーやっぱ結婚式っていいなと思ったんだよ。色んな人呼んで、宣言して、祝福される」
遠くを見るその瞳は、誰を見ているんだろうか。違う男と結婚したジュリアか、結婚できなかったレインか。思えば俺の知るラグナの恋は、全ての人々から祝福されるようなものではなかった。
いつだって、いまだって。
「それで」
「うん。結婚したいなーと、思うんですけど」
どうですか?と言う声はいつも通り。けれどさっきまで俺の髪を梳いていた手は場所を変え、俺の肩を強く掴んでいる。痛いなんて、言う気は欠片もないけれど。跡がついてもおかしくないなと、思った。
ラグナが好きだ。ジャンクションしていたから感情まで重なって勘違いしたんじゃないかとか、性別だとか、血縁関係だとか、否定する理由は履いて捨てるほどあるけれど、こうして隣にいて体温を感じるだけで、幸せになれるんだ。
ただ俺はラグナほど楽観視する勇気がない。イエスと答えて、その後どうなる?期待したってどうにもならないだろ。その一瞬の幸せより、隣にいられる時間が欲しいんだ。
「結婚しよう」
祝福されたいなら、俺相手じゃ無理だ。わかるだろ、それくらい。
「………スコールが泣くの、オレは結構好きだけど、悲しませたかったわけじゃないんだけどなぁ」
「泣いてない」
「うそつき」
ラグナの両手が俺の顔を上げさせる。薄い膜が張って、ラグナの顔が良く見えない。あんた今、どんな顔してるんだ。
もうお姉ちゃんを探していた頃の俺とは違うはずなのに、昔のように涙がこぼれて止まらない。断りたいわけじゃないんだ、俺が幸せなように、あんたを幸せにしたいけど、できないのが嫌なんだ。
「止まれ止まれ〜」
小さく笑いながら、ラグナが啄むように口づけてくる。何度も、何度も。
「……っれに、」
「うん?」
「だれ、に……祝われれば、あんたはっ、しあわせに、なれっ、る……?」
少しずつ膜がなくなって、瞬きをした後ぼやけた視界に入ったラグナは、なぜか驚いた顔をしていた。
「あぁ、違うよ、スコール。そうじゃない」
「え、」
「スコールが喜んでって言ってくれれば、それだけで幸せだよ」
ぎゅ、と抱きしめられる。ソファの上の不自由な身体。
「オレと結婚してください」
祝福されたいんじゃないのか?隠れて会わなくてもいい、周囲から疎まれなくてもいい、大手を振って宣言できるような、そんな結婚を望んでいるのだと、思っていた。
そうじゃなくても、いいのなら。
「よろこんで」



明日指輪を作りに行こうとラグナが笑う。
沈黙の国から抜け出して、いつも行くシルバーアクセサリーの店にはふさわしいものはないけれど、店主からからかいまじりに勧められた店があるんだ。
レインの指輪の上でいいから、もう一つ、揃いの指輪を買いに行こう。
でもできるなら、指輪を作るのは俺が最後になるといい。










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