そして、二人はそれから先、何が起ころうともその手を離しはしませんでした。



三文芝居。の、舞台裏(後)



「お怪我はございませんか?我が姫」

待望した舞は一瞬で終わってしまった。それこそ一陣の風が吹いたかと思うその間に、男たちは床に伏していたのだ。
目の前には跪いた愛おしい犬。少し屈んで、頬を撫でてやれば嬉しそうに瞳を細める。その緑はもう燃えてはいなかった。
穏やかな緑。だがその瞳は一瞬の内に鋭くなる。扉と私を結ぶ線上に立ち、背後に庇われた。私から扉は見えない。出会った頃は、私の方が背が高かったのに。いつの間にか抜かされて、その広くなった背中に守られることに慣れてしまった。

「ルルーシュ様」

侵入者の声は、聞きなれたものだった。

「カノン?」

名を呼べば、スザクが移動して私の背後に周る。
なぜ、カノンがここにいる?予定では、この釣り上げた獲物を回収するのは兄様の部下のはずだった。ただしそれは、カノンではない。
内心、戸惑う私をよそに、カノンはその涼やかな白皙の頬に笑みを浮かべて近づいてくる。

「ご無事で何よりです。枢木が殺さずに貴女の命を聞けたということは、かすり傷ひとつ、負ってはいないようですね」
「カノンが来たこと以外は、全て予定通りだったからな」

軍人にしては手入れの行き届いた指先が伸ばされる。よく見れば剣だこがそこここに見て取れるけれど、カノンの雰囲気がそれを見えなくさせている。
ゆっくりと髪に手が差し入れられ、子どもにするように頭を撫でられる。
気恥ずかしく思うけれど、なんとなく拒めむことができない。気をよくしたカノンは謎かけのように軽やかに言葉を続ける。

「なぜ、私が来たと思います?」
「私が思ったより、この男は大物なのか?」
「まさか!トカゲで言うところの、尻尾に近い男ですよ。けれどトカゲの一部には違いありませんから」
「ならば、なぜ?」
「ルルーシュ様のドレス姿を拝見しに」
「………カノン」
「いけません。眉間に皺ができてしまいますよ。勿体無い」

私から離した人差し指の背で己の眉間を軽く叩き、カノンが揶揄する。兄様よりは真面目だが、兄様と同じくらいカノンは私をからかうことがある。
ため息一つでやりすごす、努力をする。

「ルルーシュ様が無事で安心しました。今回は時間がありませんでしたから許可が出ましたが、本来許されることではありませんよ」
「許すも何も、私は常に最良の方法をとっているだけだ」
「こんな小物を捕まえるためだけに、宝物を釣針につけることはしたくないのですよ。シュナイゼル殿下は」

それが、カノンがここへ来た理由なのだろう。相変わらず兄様は過保護だ。それがくすぐったくて、いたたまれない。
だから私は肩をすくめて「善処する」とだけ応えた。兄様はそんな私のことすら見通していて、だからこそカノンは優しく笑って頷くのだろう。

「事後処理は私が責任をもって」
「まかせた」










外へ出ると空は青く澄み渡り、髪をくすぐる風は爽やかだった。
リヴァルが人目がないのをいいことに、「おっつかれさまー」と手を振っている。それに口の端を上げて応えた。

「カノンさんから、<紅茶>もらったぜ。午後のティータイムにどうぞってさ」
「それはありがたいな。シャーリーに言って、<マフィン>を焼いてもらおうか」

カノンからの伝言で、私の午後の仕事がなくなったと知らされる。手際の良さが少し気に食わなかったけれど、ありがたく休みはもらうことにする。リヴァルは私の言葉通り、1時間かけてアリエスの離宮へ向かってくれるだろう。
静かにドアを閉められて、車内でスザクと二人きり。この車は運転席と座席を遮断している。もちろん、会話を楽しみたいときは仕切りを開くこともできるのだが、今日は閉じたままにする。
無造作に座った私の前にスザクが跪き、皺にならないようドレスを調える。窮屈なヒールの高い靴も脱がせて、ストッキング越しにキス。
ちらり、と私を伺うから、首を横に振った。キス付のマッサージなら素足の時に。

「それよりも、肩が寒い」

ぽつり、と言葉を落とせば、スザクはとろけるような笑みを浮かべて腰をあげる。差し出された首に腕を絡めれば、広いとは言えない車内でも上手く私を横抱きにした。さっきまで私が座っていた場所にスザクが腰掛ける。私はというと、スザクの左足の上。

「これで、寒くなくなった?」

言葉にはせずに小さく頷いた。スザクが笑う気配がして、肩を撫でられる。見上げればスザクの顔がすぐ近くにある、この距離が好きだ。
触れ合う半身から熱が伝わって、温かい。

「ルルが寄ってきてくれて嬉しいな。ね、もしかして、やきもち焼いてくれたの?」
「……やきもち?」
「…………え?」

言っている意味がわからなくて首をかしげる。見上げたスザクは間抜け面で口をぽかんと開けていた。

「嫉妬する対象がわからない」
「それ、本気?あんなに第4皇女といたのに」
「お前が傍に居ないことへの不愉快ならば感じたが、それは嫉妬とは別だろう?」
「別…なのかなぁ。それってやきもちじゃないの?」
「私の想像する嫉妬という感情は、ユーフェミアがお前のことを熱の篭った瞳で見つめたり、お前がユーフェミアにとった行動に対して不愉快に思うものなんだが」
「それは平気だったの?」

たとえば、スザクにわざわざユーフェミアの逃亡を手助けさせたり、彼女の望む行動を取らせたりした。今回の釣りとは別の計画のためだったけれど、思った以上に彼女はスザクに溺れて、本来の計画だけでなく、この誘拐騒ぎにも一役かってもらえたのは良い収穫だった。
一連の二人の関係は全てシナリオ通りで、エスコートに手を差し出す程度でキスすらしない学芸会に、どうやって嫉妬すればいいのだろうか。

「別に」
「えぇぇぇ。折角がんばって皇女サマといたのにな」
「虫も殺せないような顔で、だろ。これまでその甘いマスクで何人騙したんだ?この女タラシ」
「ルルーシュに会う前のことだよ」

嘘くさい笑顔で私の手をとったかと思えば、口づける時だけ神妙な顔になる。表情とともに色合いを変える緑は、私の一番好きな色になった。
誰がやるものか。
台本通りに踊ってくれたユーフェミアには悪いが、くれてやるつもりは欠片もない。

「そういえば、彼女に告白されたか?」
「全部ルルーシュの台本通りだったよ。ちょっと笑いそうになっちゃった」
「あの子は泣いていたか?」
「泣いてたよ。ポロポロ、綺麗に泣いてた」

あぁ、それはさぞかし可愛らしかっただろう。
真っ白な頬を伝って、涙を隠しもせず、瞳から次々あふれていく雫。
想像するだけで頬が緩む。

「幸せそうな微笑より、存外、涙の方が似合うだろう?」
「見なくて良かったの?」
「ばか。直接見たら、可愛すぎて、もっと傷つけたくなってしまうだろう?かわいそうだ」
「………ルルの愛情って、時々すごい歪むよね」

理解できないよ、と言いながら指を私の髪に通す。
私は歪んでいるつもりなんてないから不満だ。眼前できらきら光る飾りボタンに指を這わせて、何とはなしに遊ぶ。

「ルル。僕はさ、ルルと僕の目的のためなら何だってするしできるけど、今回みたいなのはもう嫌だな」
「どういうことだ?」
「ルルが近くにいるのに傍にずっといられなくて、他の女のために足場になったり手をとったりすることだよ」
「嫌か?」
「嫌だよ。ルルがやきもち焼いてくれるならおいしいかなって思って頑張ったけど、全然してくれないし。それしか方法がないなら文句は言わないけど、僕はルルの傍にずっといたい」
「……そう、か」
「そうだよ。ちゃんとリードをつけて離さないで。ごしゅじんさま」

あんな甘ったるい香水なんて嫌いだ。と呟いてスザクは頬を寄せてくる。
子犬みたいな仕草が愛おしくて頭を撫でてやった。ふわふわの髪は私のお気に入りだ。

「リードの前に、必要なのは首輪だな」

スザクのためだけに誂えた服の襟元をくつろげる。不思議そうに瞬きする緑はまだやわらかな光のままで、それがどう変わるのか楽しみで口角が上がってしまう。
スザクはオヒメサマより女王サマの方が好きなんだよ、ユーフェミア。
現れた首筋をペロ、と舐める。びく、と跳ねる肩に手をかけ、もう一度、今度は軽くキスをする。

「ルルーシュ」

かけられる低い声に答えなんて返してやらない。
小さく口を開いて、ちゅと吸い付けば、そこには赤い跡。
どうやって首輪を作ってやろうか、指で辿り、考える。
次に跡を残す場所を決めて、舌を這わせようとした、のに。軍人らしい武骨な手が、私の手より一回りも違う熱を持った手が、私の指を掴んで止めた。
眉を顰めて見上げれば、獲物を狙う獣の瞳。

「地獄の果てまでお供します。我が姫君」

唇に、その吐息がかかる距離。包み込まれた私の指を撫ぜて、甲をあらわにする。
簡単に壊れやしないから、そんなに大切に扱わなくても良いのに。
物騒な瞳の光で私を射抜いたまま、キス。
甲に落とされた唇はかさついていた。荒れた唇を癒してやりたくて、誓いの余韻に震える手を顎にかけて顔を寄せる。
下唇の方が荒れて見えたから、舌をゆっくりと這わせてやる。上唇は小さく何度も啄ばんで、離れる前に、触れ合うだけのキスをした。
顔を上げれば、鋭いナイフのような瞳。その色が、たまらなく好きだ。

「待て」

今にも飛び掛りそうだったから、静止の声をかける。女王サマのような凛とした声を出したはずなのに、耳に入ってきたのは小さく掠れた声だった。

「イイコにできたら、ご褒美くれる?」
「望みはなんだ?」

車が速度を落とし、ゆっくりと停止する。あぁ、もう1時間たってしまったのか。
優秀な運転手によってドアが開けられるまで、あと1分。
この温もりを少しでも手放すのが惜しくて、頬を撫でた。スザクはイイコ、と頭を撫でて、膝から私を下ろす。これでは立場が反対だ。
ドアがガチャリ、と音を立てる、その瞬間。耳元に吐息。

「ご褒美は、ベッドの上で。ね」

それで、それからどうなったの?











「そして、お姫様は王子様と末永く幸せに暮らしたのでした。おしまい」

「……………あれ?もう寝ちゃった?」
「そう見たいだな。きっとまた明日、もう一度読んでとねだられるさ」
「この絵本、大好きだよね」
「私はあまり好きではないんだが」
「そうかな?僕は結構好きなんだけど」
「どこがだ?このオヒメサマはどう考えても間抜けだろう。だいたい糸車を全部廃棄したら暴動が起こるぞ。第一、眠ったままずっと待つなんて私は絶対にごめんだな」
「ルル……絵本だから……」
「うるさい」
「あのね、ルル。僕はね、このオヒメサマが眠っちゃったのは身体じゃなくて心だって思うんだ。トゲトゲの茨に守られた優しい心。でも僕は茨なんて気にしないで、たどり着くよ」
「…………なんの話だ」

「それはね、僕がルルーシュをずぅっと幸せにしますって話」

いたずらに細められた緑が深い色合いで綺麗。長く伸ばした髪を掬われて口づけが落とされる。足りなくて左手を伸ばしたら、爪先に音を立ててキスされた。そこじゃないのに。
不満で頬を抓ってやれば、ごめんと笑ってようやく手の甲にキスが落とされる。
満足したから、少しスザクにも分けてやることにした。
私たちの間で眠るお姫様が起きないように、密やかに物語の結末を。

「そして、私とスザクは子どもが生まれたその後も、末永く幸せに暮らしたのでした。おしまい」





[ Happy End ? ]








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