土の棺


まるで眠っているみたいだった。だって血が出ていない。さっきまで話しだってしていた。それでもロロは全身の力を抜いて俺の腕に抱かれ横たわっていた。
本当に死んでいるのだろうか。
頚動脈に手を当ててみる。俺の右手には何も感じられなかった。もう一度、しっかりと抱えなおして、今度は呼吸を確かめる。口元に当てた右手には何も感じられなかった。鼻をつまんでたっぷり30数えてみる。反応はない。
ずるりと、左腕から、両膝から、身体が落ちた。地面に頭が当たる音がしたけれど、うめき声はしなかった。
地面に仰向けになった制服姿。その、首に両手をあてる。
平均値以下の握力しかない両手で、精一杯、その首を絞めた。
こいつが微笑んだように思えたのは、間違いなく俺の想像だ。実際は眉をしかめることもなく、俺の行為はただ制服の襟に皺を生むだけだった。

「死んだのか」

そう、死んだんだ。俺を守って死んだんだ。
馬鹿なロロ。最後まで俺の嘘を信じ続けて死んでいった。
計画通り、計画通りじゃないか。俺に使われてボロボロになって死んでいった。
俺はそれを望んだはずだろう。

「ロロ」

ほんの少し、優しくすれば倍の笑顔と好意で返してきた、偽りの弟。
宿題を見るとか、挨拶をするとか、そんな簡単な日常の繰り返しを喜んでいた。
兄さん、兄さんと呆れるくらい必死になって名前を呼んでいた。

「大嫌いだよ、おまえなんて。ずっとお前を騙して、使って、最後は殺すつもりだった」

あぁそうだ。だってお前はナナリーがいるべき場所に平然と収まった。お前がナナリーの代わりになんてなれるわけないんだ。俺の家族はナナリーだけで、お前なんて家族じゃない。目が見えて歩くことができる弟なんていらない。目が見えなくて歩くことができないナナリーが大事なんだ。ナナリーのために、世界だって俺は変えてみせる。それ以上に大事なものなんて見えない。
なのにお前は、兄さん兄さんと俺に必死で縋る。
大事なのはナナリー。共犯者はC.C.。親友、だと思っていたのがスザク。友人は生徒会メンバー。駒は黒の騎士団。
お前を入れる場所なんて、俺にはないんだ。

「お前の居場所なんて、俺の中にはないんだよ」

元から白い肌が、より一層白く見える。この口が開いて、僕の兄さんは嘘つきだねと言い返すことは二度とない。寂しげに微笑うことなんて二度とない。

「せいせいするよ。いつか殺そうと思っていたお前が死んでくれて」

青白い頬を撫で、ミルクティーみたいな色した髪を梳いてやる。
右耳のあたりで一房はねる髪は、いくら直そうとしても頑固に主張していた。毎朝ロロは鏡の前で格闘していたけれど、いくらやってみても、俺が手伝ってもやっぱり上手くいかなくて、結局そのままにして登校する羽目になっていた。
その、ぴょんとはねた髪をひっぱってロロをからかうのが、いつからか癖になっていた。ロロの宿題を見てやっているときは俺が手持ち無沙汰のなることも多かったから、その頻度が高かったように思う。
いま、そのはねた一房をひっぱってみてもロロの顔が傾くだけで、困ったような照れたような笑顔を見ることはできなかった。
ロロの左手を持ち上げ、俺の頬へともっていく。俺からロロへの接触はあっても、その逆は少なかったなと思う。この手は大抵、俺のやったロケットを宝物のように握っていた。でもきっと、ロロにあげるといえば使い古しのシャーペンだろうが消しゴムだろうが、大事に大事に持ち歩くんだろう。

「馬鹿だな、本当に」

何もあげないよ。そのロケット以外、お前には何もあげない。






墓場は見晴らしのいい崖に決めた。見定めだ場所のすぐ横に人形みたいになったロロを置く。
最初に落ちていた枝を使って、大体の大きさを楕円で描く。隣の人形と見比べながら、丁寧に。
次に手に余るくらいの石を探し出し、ひたすら掘る。土は思ったより固かった。すぐに右手が痛くなって、左手に変える。でも左手では上手くいかなくて、両手を使うことにした。
爪に土が入って不快だったが、作業を中断する気にはなれなかった。
効率が悪いことは理解していた。スコップがあれば何倍もスピードはあがるだろう。けれどどうしてか、スコップの代用品を作る気にはなれなかった。
ひたすら石と手で掘る。そのことに何か意味がある気がしていた。

「……馬鹿か、俺は」

どれくらい、この作業を続けていたんだろうか。たかが掌を広げて丁度二つ分、地面を掘るだけにどれだけの時間を費やしたのか。
それだけ時間があれば、いつもなら次の一手を考え、それを完璧に遂行するための情報収集と根回しをしているのに。
もう手の感覚がない。両手を広げれば薄汚れていて、小石で抉ったのか血もでていた。指先が震えているのが滑稽だ。
服で適当に拭う。普段なら絶対にそんなことはしないのだけれど。どうせ土に埋まるとわかっているのに、この出来たばかりの棺に入れるのに、この手は相応しくない気がしたのだ。
見た目だけ、多少は綺麗になった手でロロの身体を動かす。生憎抱き上げられるほどの体力は残っていない。脇の下と膝裏に手を入れるようにして、引きずりながら土の棺に納めた。木箱でも石棺でもない、土でできた棺。恐らく最も簡単な埋葬方法だろう。
綺麗に収まったロロを立ち上がって見つめる。何かおかしい気がして、手を組ませていないんだと気づいた。しゃがみこみ、手を組ませようとするけれど硬直が進んで思うように動かない。
無理をすれば折れそうでそれ以上動かすことが出来なかった。だから手はまっすぐ伸ばしたまま。
足先から土をいれていく。靴の中に土が入って不快だろうと想像した。ズボンの裾からふくらはぎに入っていく土にもきっと、同様に。
つま先が完全にうまって、土は膝上に到達した。ゆっくりと、続けて土をかけていく。真っ白な指先が隠れた。手を覆い、制服のベルトを隠し、胸元まで。
砂は軽いのに、かさを増すごとに重くなっていくのだろう。苦しいだろうか。心臓を通り過ぎ、残るは顔だけになった。苦しがることもなく、静かな顔をしていると思った。
ただそれだけだ。
少し、土を入れると首の横にとさりと落ちた。首の下に隙間がある。そこを埋めて、辛くないようにしてやる。
指通りの良い髪に砂が混じるのに、自然と眉根が寄った。けれどどうしようもない。やがて蛆がわいて滑らかな肌を荒らし肉が朽ちていくのを止める術がないのと同じように、どうしようもないことだ。理解している。きちんと、わかっている。

「ロロ。お前に何もやるつもりはないけれど、最後にキスだけあげようか。家族みたいなキスを」

顔にかかった土を撫でて落としてやる。髪にからまる砂はどうしようもないけれど、それでも丁寧に梳いてやる。額にかかる髪を少しだけ横に流して、くちづけた。
ロロの顔は相変わらず静かで涼しげだ。
前髪を元通りにして、落としたキスを隠した。

「俺はきっと、お前と同じ場所へは行けないよ」

だからはやく生まれ変わるなり天国に行くなりするといい。俺を待つなんて馬鹿なことはやめて、早く次に行くといい。

「おやすみ。ロロ・ランペルージ」

お前なんて俺の家族じゃない。お前なんてちっとも大事じゃない。お前の兄さんは嘘つきだと知っているだろう。
喉でつかえた言葉を音にできないまま、手だけは延々と土を運んでは流し込み、ロロの顔は完全に埋もれた。
見えるのはこんもりと隆起する土。
最後に必要なのは、しるし。死者が眠っているしるしが必要だ。
うっそうと茂る森を目指して立ち上がれば、一瞬世界がまわった。急に膝も痛み出した。
立ちくらみか。
少ししゃがみこんだあと、今度はしっかりと歩き出した。

適当に見繕った太い枝と細い蔓で十字を作る。それを小さな丘の僅かばかり上に立てた。
これで終わり。
俺の命にはまだ先があるようだから、次に行かなければ。優しい世界を作るために。

両手を見れば、もう震えは止まっていた。汚れた手。
魂に重さがあるのなら、きっとこの爪に入った土と同等だろう。










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