さよなら重力


「春が二階から落ちてきた」



放課後の生徒会室には、私とルルしかいなかった。
ななめ向かいに座るルルーシュの、淀みなく続くタイピングの音と窓の向こうから聞こえる運動部の声だけが生徒会室に小さく響く。
空は陽が落ちかけた緋色をしていて、きれいだけど少し切ない。ルルーシュの後ろから差し込む光が、元から整ったルルーシュを更にきれいに演出してる。
珍しい、まるで皇子様みたいな紫色の目はただただパソコンの画面に注がれていて、私がもう手元の書類を見るのもやめてじっと見つめるのにも気づかない。その方がいい。近いのに気づかれないこの距離は辛くも思えるけどその代わり安心できる。
ルルーシュが瞬きするのを目に映して、後を追うように私も目を閉じた。
何か話したい。
この部屋は静かすぎて、折角ルルーシュと二人なのに何を話していいかわからない。
生徒会の話?ううん、そうじゃなくて、もっと、ほか。ナナリーちゃんの話でもスザクくんの話でもなくて、なにか。
一生懸命考える私にはつい最近読んだ本のことしか出てこなくて、もっと他にいっぱい話せることなんてあったはずなのに、印象に残りすぎたその一節が口をついた。

「春が二階から落ちてきた」

私がそう言うと、ルルーシュは嫌な顔をせず聞き返してきた。

「春が二階から落ちてきた?」

「うん。春が二階から落ちてきた」
そこで何でもないって言えばよかったのに、ようやく顔をあげて声を発したルルーシュに見とれて、私まで繰り返してしまった。馬鹿。
ルルは口もとに手をやって考えるそぶり。ルルの指って長い。
「それは何かの比喩か?」
四季があるのはエリア11の特徴で、突然空から降ってくるものじゃない。
春。例えられるような恋をしているのは私。でもそうじゃないの。
「ううん。あのね、最近読んだ本の言葉なの。春って、主人公の弟の名前」
「あぁ―――」
ルル納得した、というような顔で少しだけ笑ってくれた。
「春というからつい季節のことかと思ったよ。だまされた」
うん。この本には結構そういうのが多いかも。思い込みを逆手にとるようなトリック。狂人のノートとかね、なんて改めて納得。
「最初と最後がその言葉でね、きっと本の書き方ではよくあることなんだろうけど、それがなんだかすごく好きなの」
「作者は?」
「伊坂コータローだよ」
「面白そうだ」
「うん、面白くて一気に読んじゃった」
「それで、二階から落ちてきた春は無事だったのか?」
「うん、全然平気!お兄さんがいるとね、春はなんでもできるんだよ!」
「へぇ」
「おまもりみたいなものなんだって。お兄さんにとっても、弟にとっても。二人でいれば何でもできるって言ってたなぁ」
「……そう、か」
私もきっと、ルルといれば何だってできるよ。がんばるよ。
なんて思って、照れて視線を外にやった、その時。

「    」が二階から落ちてきた。

ガタンっ

椅子が倒れる音で我に帰る。
「シャーリー!?」
「あ、ルル、今、外っ」
振り返るルルが夕日に照らされて真っ赤に染まる。
指さす私に何か感じてくれたのか、席を立って窓辺へ。
カラリ
窓を開けて覗き込んだ。

私は想像する。お兄さんを連れずにジョーダンバッドを持って、二階から落ちて着地に失敗した姿を。
あぁだから、おまもりを持っていかないといけないのに。

「シャーリー」
「っ、ルル!」
「大丈夫」

ルルの表情ならどんなものでも完璧に覚えている自信があったのに、それは脆くも崩れ去った。
だってこんな表情知らない。
ルルはとても穏やかに目を細め口元を緩めていた。上がった口角。なのになぜだろう。今まで知っている表情のどれよりも、一番さみしそうな顔だった。

もうすぐ日が沈む。その直前の光をバックにしたルルは、まるで神様みたいだ。




「なんで上から落ちてきたんだ?」
「ちょっとね、監視カメラみたいなのがあって気になったから屋根に上ってみたんだけど。確認し終わったとこにアーサーが通るのが見えて、つい追いかけちゃった」
「監視カメラは俺が仕掛けたやつだ。外すなよ?あとシャーリーがたまたま落ちた所を見ていて驚いていた」
「え、ルルが仕掛けたの?自分で!?危ないことしないでよ!」
「カメラは人に頼んだ。俺があんな目立つとこで作業してたら危ない以前に問題だろ?」
「ルルが危なくないなら、僕はなんでもいいけどね。でもシャーリーには悪かったかなぁ」
「まぁ大丈夫だろ」
「うん。ね、シャーリー心配してた?ルルは?ルルも心配した?」



「別に。お前はあの高さから落ちたくらいじゃ死なないだろ?」

(おまもりがなくたって生きていくことは簡単だ)










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