2センチメートル



「ミレイ!何だこの靴は!?」

アフターヌーンティーを終えて一息ついた時間帯。心地よい微睡みを誘う午後の日差しの中、アッシュフォード学園クラブハウスから、少女にしてはやや低めの声が響き渡った。
「何って、ただのピンヒールじゃない」
楽しそうに返すミレイの声に、先程の声の主、ルルーシュは再び声を荒げて不満を顕にする。
「俺が頼んだのはドレスの見立てであって、断じてピンヒールのセレクトなんかじゃない!!」
ルルちゃんは怒っても美人さんねぇ、というミレイの本音ともからかいともつかない言葉は、ルルーシュの怒声に逃げ出した小鳥達のはばたきによってかき消された。



話は、数日前にかけられた1本の電話に遡る。

無機質な音を発する携帯電話の画面に現れたのは文字は「着信:枢木スザク」。
滅多にない相手からの連絡に、慌てて電話を取ったルルーシュに負けないほど、回線の向こうの声も焦りに満ちていた。
『ルルーシュ!?』
「スザク?珍しいな。どうした?」
あまりに切羽詰った声に心配する声音は、しかし次の言葉を聞いた瞬間、途切れた。

『今度の土曜日に開かれるパーティに、僕のパートナーとして出席し』

ぶちっ ツー、ツー、ツー

怒りに任せて切った電話は、しかしルルーシュのストレスを若干減らしただけでしかなかった。

「ルルーシュ!」

窓の外から聞こえてきた声は、先程までの電話の相手のもの。
大好きで、大切な、友人。

「ルルーシュ!」

あぁもうっ。
「夜中に騒ぐな!とっとと入って来い!!」
窓を開けて叫んだ段階で、もう土曜日の予定は決まっていた。




「ミレイ、頼みがあるんだが」
ところはアッシュフォード学園生徒会室。
ルルーシュの計画通り、いるのは生徒会長のミレイだけ。
「何かしら?ルルちゃんの頼みなら、何でも聞いちゃうわよ」
そう、ここまでだって彼女の計画通りなのだ。自分の頼みをミレイは断らない。だから、不本意だが、不本意なのだが、こればかりは仕方ないから。
意を決して、頼みごとを。
「パーティ・ドレスを、見立ててくれ」

その瞬間のミレイの顔といったら。
元々、ルルーシュはオンナノコの格好をすることが嫌いである。
それは彼女の出生に関わるもので、父がいない環境で妹と母を守りたいと思った結果でもある。
実際、私服にスカートというレパートリーはなく、常にパンツルックにその細い身体を包んでいた。
学園生活においてもそれは変わらず、女生徒にも関わらず男子生徒の服装で通う始末。シャーリーのように大きいわけでもないルルーシュの胸は、手で包めば少し余る程度。男子生徒の服を着ても、肩に届かない髪とも相まって、女性的というよりは中性的な印象を与えている。そう、似合いすぎるのだ。
幸いなことに、途中でスザクが転校してきてからは、彼の教育の賜物なのか、彼が登校してくる時はスカートで来るようになった。
ルルーシュを家族のように思っているミレイとしては、ルルーシュの自分の性別嫌いを直すいい機会だと、名誉ブリタニア人を歓迎している。
転入時は多少もめたが、ルルーシュの大切なスザクも学園に馴染みはじめたし、ルルーシュもたまにならスカートで登校してくるなど、ミレイにとっては嬉しいことばかりが続く近頃。
ありがとうスザクっお姉さんは君を応援しているよ!
今回もきっと、君が関係するであろうルルーシュからの嬉しいお願い。
「全力で、飾り立ててみせるわ!」



「ところでルルちゃん。私としてはルルちゃんを飾り立てるのはこれ以上ないくらい嬉しい行為だから断るなんてことありえないんだけど、突然どうしてそんな可愛いお願いしてくれたの?」
ルルーシュに着せたい服リストを頭の中でさらいながら、ミレイは根本的な疑問を口にする。
彼女が進んでドレスなんて嫌いなものリストの上位にランクインする服を着たがるわけはない。
「スザク、が」
顔を歪めてぽつりぽつりと話出したのは、土曜日のパーティのこと。
やっぱりスザク関係ね、とミレイがほくそ笑んだのは、幸いにもルルーシュには見咎められなかった。

ルルーシュが呟いて曰く、軍で開かれるパーティにスザクの所属部署も参加することになった。
パーティは女性同伴が必須。
列席者には、コーネリア総督ならびにユーフェミア副総督がいる。

ふくれっ面なルルちゃんもかぁわい〜。
話しを聞きながらミレイが考えるのはそんなこと。
ユーフェミアの名前はスザクが時々口にするもので、ルルーシュは敵だと認識している。
彼女がスザクを気に入っていることは確実だろうが、スザクが見ているのはルルーシュだけなのに。

「でもルルちゃん。一応、総督と副総督って、関係者じゃないの?」
トップシークレットであるルルーシュの本名は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。母マリアンヌは元ブリタニア皇妃であり、ルルーシュを身ごもった際、その事実を誰にも告げずに姿を消した。本国では未だに人気ナンバー1の謎多き皇妃である。騎士候という低い身分にも関わらず、美貌と優しさ、高い知性に騎士に負けない身体能力。国民が知っているのは外見だけであるが、それだけでも人を魅了する。そんな彼女の失踪は様々な憶測を呼び、未だ人々の記憶に残っている。
マリアンヌは我が子を皇族にする気はないと、身ごもった身体で離宮を抜け出した。しかし皇帝が本気で彼女を探して、見つからないわけはないだろう。二人の間に何があったかはわからないが、その後、彼女が女手一つでルルーシュと妹ナナリーを育て上げたことだけは事実である。
彼女が病でなくなってからは、彼女の親戚であるアッシュフォード家が後見人として彼らを保護している。その最後の静養地が、日本。
そして彼女が亡くなってからすぐ、日本はイレブンと名を変えた。
ミレイが知っているのは、そんな上辺だけのこと。
そう、マリアンヌ次第では、ルルーシュは第3皇女と呼ばれていたかもしれないという、そんな簡単なことだけ。



「問題ない。面識はないからな」
ミレイの心配はどうやら杞憂のようで、ルルーシュは皇族と会った記憶はないとあっさり返した。
「なら、いいんだけどね」
それよりも心配なのはあなたの心なのだと言えれば、どれほどいいか。
でもきっと、スザクがいるから大丈夫よね。
期待しているわ白い騎士。
私は魔法使いになってお姫さまに見合うドレスをプレゼントする。

かくして、決戦の土曜日を迎える。




「んもぅ。往生際が悪いわね」
ルルーシュが纏うドレスは、青い布の上に薄い黒の布が重ねられ、中に履いたパニエでふわりと広がっている。単純な青でも黒でもないそのドレスは、黒のレースで飾られることのよってより繊細な感覚を見るものに与える。
ピアスを開けていないのだからと髪に挿された飾りは軽やかに揺れ、ネックレスは細い首を守ることに誇りを覚えているかのように輝いている。
二の腕まで包む手袋は黒。靴は薄青。
完璧な、お姫さま。
問題はそう、ヒールの高さだけ。

「なんで7cmもあるんだこのヒールは!?」
「デザインいいでしょう?後ろから見ても横から見てもベルトが足首で交差してるように見えるから、ただでさえ細いルルちゃんの足がもっと細く見えるのよ!」
数日しかなかったにしてはよく揃えたわ私!とミレイはひどくご満悦。
「大体、ルルちゃんヒールの高い靴だって履こうと思えば余裕でしょ?」
お母様からきちんと淑女としての教育を施されていたこと、知ってるんだから。
普段はがさつな態度を取るが、意識していない部分、例えば椅子の座り方や食事のマナーは完璧で皇族にひけをとらない。
スカートを履いている時、ヒールの高い靴を履いている時、全て相応しい所作を叩き込まれているはずなのだ。護身術と一緒に。
ヒールの何が不満だというのか。

「っだから!ヒールが高すぎるんだ!大体、俺は背が低いわけじゃないから高いヒールを履く必要もない!!」

ふぅん

「そっかぁそうよねぇ。うんうん。気づかなくてごめんねルルちゃん」

高いヒールに不満なルルーシュ。
理由がわかれば楽しくて仕方がない。

「スザクの隣に立ったら、身長差、約10cm?」
「9cmだ!」

素早く否定したルルーシュに頬がにやけるのを止められない。
ミレイの表情に、ルルーシュはようやく、自分が失敗したことを知った。

「や、これは、その」
「うんうん。わかってるから。でもヒールはそのままね。だってその靴が一番合うんだもの。大丈夫。スザクだってすぐにルルちゃんの身長追いこすわよ」
「ちがっ、別にアイツは関係ない!」
「はいはい。ならこのままでいいわよね〜」
にっこりと笑顔で迫ってくる彼女に、どうして反論できようか。
「いい?ルルちゃん。向こうがルルちゃんを知らない以上、思う存分ピンクにルルちゃんの存在を知らしめることができるのよ?」
取られたくないんでしょう?
と重ねればこくりと首を縦に振る可愛いオヒメサマ。
これで条件は全てクリア。
「今回のコンセプトは大人な美少女。甘えるだけのオンナノコを圧倒するには、このヒールだって重要なアイテムなのよ」



気づけば、薄く化粧までされて7cmのヒールを履いたままのルルーシュはパーティ会場についていた。
本当はスザクが迎えに来るはずだったが、仕事が入ったらしく、現地集合に変わったのだ。絶対行くから待っててと何度も念を押された。
そんなに言わなくても、絶対に待っているのに。
思い出して苦笑しながら、ルルーシュが時計を見れば待ち合わせまであと5分。
ざわざわと賑わうホールで壁の華。
本国に戻ったクロヴィス殿下の配下と新たしくやってきたコーネリア皇女殿下の配下では、明らかに目の光が違うなと、ルルーシュはそんな感想を抱きながら目の前を過ぎる群れをなんとはなしに観察していた。

その視界を遮ったのは、銀とも灰とも蒼とも付かない色彩。

「こーんーにーちーはー」
眼鏡の奥で笑う獰猛な目。
コイツは、知っている。
それはルルーシュの記憶にある光だった。
「お久しぶりですねぇ。跪いて手の甲にキスを出来ないのが残念ですよぅ」
なぜ、ここにいる。
「オマエは、知っている。ロイド。ロイド・アスプルンド」
「はいぃ。ありがとうございます」
皇女殿下、と囁く唇に、思わず殴りかかろうとした、瞬間。

「何、やって、るんです、か…ロイドっさん!」

現れたのは、白い服を纏った、自分だけの、騎士。
「スザク」
「遅くなってごめんねルル!ロイドさんに何かされなかった!?平気!?」
剣幕に押されてこくこくと何度も頷くルルーシュに、スザクはようやく肩の力を抜いた。
「早かったねぇ枢木准尉。てっきり間に合わないと思ってたのに」
「えぇそうですね。わざわざ、スザクくんのこれまでの数値から計算して、ギリギリ出せるかどうかという課題値を算出したんでしょう?」
スザクの後からやってきたのは、満面の笑みの後ろに氷河を作る美女。
「もちろんスザクくんはここに来るために今までで最高値をたたき出してくれましたよ。それで、私たちを足止めしておいて、あなたは何をやっていたんですか?」
「もちろんオヒメサマに…あっごめんなさいっ」
パーティ会場のロビーであることに配慮してか、ロイドの袖を掴みぐりぐりとヒールで足を踏みつける女性に、ルルーシュは対応を悩んだ。
「えっと」
とりあえず、スザクの上司らしいロイドより強いのは確かだ。
「あ、いきなりごめんなさいね。私はセシル・クルーミー。スザクくんの上司になるのかしら?ロイドさんの副官を務めています」
「ルルーシュ・ランベルージです」
「会えて嬉しいわ、ルルさん。いつもスザクくんから話を聞いていたから、今日会えるのをとっても楽しみにしていたの」
にこやかな笑顔と対照的な足元をくり返し見て、ルルーシュはこの女性に逆らわないことを誓った。
どんなところに所属しているんだスザク、そして俺の話ってなんだと、後できっちり問い詰めようと決意しながら。



「今日のドレス、会長が選んでくれたの?」
パーティのオープニングまでまだ時間がある。
スザクには挨拶周りなんてもの必要ないのか、ルルーシュの隣、会場の端に立って開会を待っている。
「あぁ」
「とっても綺麗だよ。流石は会長。ルルに似合うドレス、わかってるね」
笑顔で告げるスザクは、ルルーシュの視線の斜め下。
たかが9cmされど9cm。
いつもなら2cmしか変わらなくて意識することさえ稀なのに。
今日はこんなにも気にかかる。

「どうしたの?ルル」
何か気にしてるね。
小首を傾げてくるスザクのつむじが見える。
傍からみたら、自分達の関係はどう見える?

「おまえがわるい」

こんなドレスを着ることになったのも、9cmの差がこんなにも気になるのも、見慣れない白い服を直視できないのも。

みんなみんな、おまえがわるい。

少し困ったようにスザクは笑って囁いた。
「すぐにルルの背を抜かすから、そうしたら今度は僕が選んだドレスを着てパーティに出てもらえますか?」



みんなみんな、おまえがわるい。

そんなに真剣な目で見ないで欲しい。
かろうじて、ルルーシュは頷くことだけはなんとか出来た。

視界の端では満足そうなスザクの笑顔。
9cm下から覗き込まれたら、熱くなった頬だって隠せない。



身長差はたった2センチメートルなのに。










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