正夢


朱塗りの門がある。
血の色よりも鮮やかで優しい色をした門だ。
門の向こう側から楽しげな声が聞こえてくる。笑い声に交じる三味線の音。文章にならない歌。
急に門の前にいるのが淋しくなって、僕は一歩、踏み出した。

そこはもう門の向こう側。

霞がかったようにはっきりしなかった世界が、急に明るくなった。声しか聞こえなかったのに、今はもう、道行く人々の着物の柄がはっきりわかる。
煙草と白粉と、それからお酒の匂いがしてきて。
気付いたら頬がゆるんでいた。

なんでさっきまで僕は門の前から動かなかったんだろう。たった一歩で、こんなにも世界が変わるのに。

そう思ったら立ち尽くしているのがもったいない気がして、僕はまた一歩踏み出した。
もうどこにだって行けるから、周りを冷やかすように眺めながら足の赴くままに進んだ。
朱塗りの格子が続いている。格子のこちら側にあつまる薄い色の着物と、向こう側の艶やかな着物の対比が笑みを誘う。
まるで別世界。
横目で見ながら角を曲がれば、さっきまでの明るさが嘘のように沈んでいた。灯りが少ない。角の向こう側はあんなにも光りに満ちているのに。
戻ろうと踵を返そうとした瞬間、目に入ったのは朱塗りの格子。
血の色よりも鮮やかで優しい色をした格子から、ぬうっと腕が生えていた。腕は、何かを探すように空をかいた後、僕に向かって手を伸ばした。

間違いなく、その手は僕に向かって伸ばされた。

一歩、動いたら世界が変わってしまう気がして、僕は中途半端に身体の方向を定められぬまま、視線だけでその腕を見た。
腕は格子から生えていたわけではなかった。当然だ。角の向こう側と同じで、格子の向こう側から腕が伸ばされていただけ。
腕は、血管が見えてしまうのではないかと思うほど、白く透き通っていた。その先にある手は細く長く、形の良い爪は綺麗に切り揃えられていた。
素直に称賛できるのに、僕には桜貝のような爪、という有名な誉め言葉だけは使えなかった。どれほど美しく滑らかに見えようとも、これは男の手だとわかって いたから。
だから桜貝などと言ったら、呆れられると思ったのだ。
この手の持ち主に。

手が揺れる。
そうしてもう一度、僕に向かって伸ばされた。

角の向こう側から楽しげな声が聞こえる。明るい光りに照らされている。

僕は。

僕は、角の向こう側へと走っていた。
曲がりきる瞬間、見えたのは見覚えのある真っ白で細い腕だった。

あぁ、この腕を僕は知っている。傷一つない手を、僕は。

「ーーるぅっ、しゅ!」

目の前にあるのは僕の手。見慣れた天井に向かって伸ばされた、傷跡の残る僕の手。

「るるー、しゅ」










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