あぁこれは確かに恋だったのです。
この腕の温もりだけが確かな証なのです。
口付けを交わすことも、身体を重ね合わせることもできなかったけれど、マスクの下の本性で、愛を、感じあったのです。
言葉にすることすらも、できなかったけれど。
なぜならこれは、一夜限りの恋だから。


仮面舞踏会 後



どれほど、抱きしめていただろう、この腕の中の温もりを。
縋り付くように、握られたシャツが嬉しい。
きつく、きつく。離さないように抱きしめ続けた。
いつか来る、終わりをわかっているから。

けれど覚悟はできていなかったのだと、窓を叩く音に思い知らされた。

コンコンッ

リズミカルなその音はひどくこの場にそぐわず、守るように、更にきつく抱きしめた。
いや、離したくなかったのだ。自分が。

「…むかえだ」
「うん」
「わかってるのか」
「うん」
「なら」
「でも君も離さないじゃないか」
だから自惚れてしまうんだ。

「失礼」
男の声は、漏れ聞こえる会場のざわめきに紛れずにまっすぐに届いた。
「おや、お楽しみ中だったかな?」
からかう口調が、ひどく耳障りだ。
とんっ、と、胸を押されて、名残惜しげにスザクは温もりを手放した。
ずっと、抱きしめ続けていられたら良かったのに。
「もう、気は済みましたか?」
「あぁ。可愛い妹の顔も見れたしね。イイ顔だったよ。特に、カーテンを開けた瞬間なんて」
思わせぶりに、身体をずらした男の背後、閉められた窓と閉められたカーテンの間にいたのは。

「ユフィ」
「おっと、名前を口にするのはマナー違反だよ。枢木スザク」
なら自分の名を口にしたお前はなんだ。
マスク越しでは満足に睨むことすらできない。

「枢木、スザク?…お前、ユフィの、騎士、なのか」
見られた見られた見られた!
主に見られたことよりも、自分が彼女の物なのだと知られたことが、スザクを哀しませる。本来ならば、主に見られたことを後悔せねばならぬのに。正しい行動が何かなんてわかっていても、自分が人の物だということを知られたことに泣きたくなる。
「そうだよ、ルルーシュ」
「兄様!?」
咎める声。まるで悲鳴のような。
今、男はなんといっただろうか。彼の人の名を。
「ルルー、シュ」
「そうだよ枢木スザク。お前が抱きしめていたのは、触れることすら叶わないところにいる、男、だよ」
楽しくて仕方ないといった口調のまま、伸ばされた指は乱暴にルルーシュのマスクを剥ぎ取る。
「やっ」
ルルーシュの抵抗は、かなわない。
「ーっぅ」
伏せられた瞳は、いつか見た紫水晶。あれはいつだっただろうか。主に連れられていった皇族の集い。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア皇子殿下」
熱に浮かされたような声が出た。
彼は、シュナイゼル皇子の懐刀。黒の皇子。
唯一の家族である妹姫が、兄殿下の庇護下におかれてから、その名は広まり始めた。
理由なんて考えるまでもないこと。少し自分と似ているかもしれないと、嗤いそうになる。
「似合うだろう?このドレス」
皇子は、ふふ、っとまた、笑う。
ルルーシュはスザクの上着を、きつく、握り締めている。耐えるように、それで守れるかのように。
その頬は羞恥で染まりその身体は恐怖に震えていた。
全部、自分のせいだと自惚れていいだろうか。

「そうですね。何を着ていても、美しさは損なわれないということがよくわかりました」
スザクはマスクを自らの手で外す。
ただ、きちんと目と目を合わせたかった。
ゆるやかにあげられた顔を見れた、それだけで、満足すべきなんだ。
「綺麗だよ、ルルーシュ。何を着ていても、どんな姿でも」
「スザク」

ばたんっと音を立てて開けられる窓。
「スザク」
マスクを取ったユーフェミアが、立っていた。
「渡しませんわ、絶対に渡しませんわ。お兄様には、絶対に、渡しません。スザクは、私のものです」
スザクとルルーシュの間を断ち切るように、ユーフェミアはスザクの前に立つ。
「スザクは私の騎士です。誰にも、あげません」

「その通りだよユーフェミア。スザクはお前のものだ」
「その通りだよユフィ。僕は君のものだ」

何の感情もなく差し出された言葉は、ユーフェミアの望む答えであったはずだ。それなのに、こんなにも彼女に不安を与える。

「私のものです私のスザクです渡しません私のもの私の騎士私の私の私の」
先程までルルーシュがしていたように、主は騎士にしがみつく。

スザクは抱き返さなかった。

ただ、シャツの皺の形が変わっってしまったことが哀しかった。

「さて可愛いユフィ。賭けの代償をもらおうか」
マスクをつけたまま男は言う。軽やかな声のまま。
ユーフェミアはシャツをより強く握り、声を絞り出す。
「…えぇ、約束は守ります。シュナイゼルお兄様」
人形のように無表情のまま、ルルーシュが尋ねる。会話の意味を。本当はどうでもいいことなのだけれど、さっきまで自分がいた場所を奪われたこの胸の空洞を、どうにかしたい一心で。
「どういうことですか?兄様」
「何、簡単なことさ。鳥かごの扉を開られた小鳥の行動を、賭けていたんだよ。ユフィは鳥かごに戻る方に賭け、私は逆に賭けたのさ。まさか、小鳥が2人、揃って一緒にいるとは思わなかったけどね」
「それは、おめでとうございます」
所詮ルルーシュは兄の鳥かごから逃げ出せない。今は、まだ。

「さぁ帰ろうか、私のカナリヤ」
スザクの上着の上から、肩を抱かれて促される。

「その前に、スザクの服を返して下さい。それも、私のものです」
ルルーシュはわかっていた。取上げられると、わかっていたのだけれど。
それでもこの温もりを手渡すのは、嫌だった。
「あぁ、お前のものだよ、ユーフェミア」
けれど身体は従順に温もりを手放す。あっさりと、あっけなく。

スザクと目を合わせたルルーシュが最後に唇で語りかけたのは。

さ よ う な ら 






さようならさようなら。
こんなにもあたたかな夜にお別れしなければならないなんて。
こんなにもさむい夜にお別れしなければならないなんて。

けれどもうマスクはなくなってしまったの。
さようならさようなら。

けっして忘れませんこの恋をあの温もりを。
仮面の下で、永遠に。



さようならさようなら、一夜限りの、恋人。





[ end ]








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