夢の雫 4


( DX side )

自分の右手とイオンの左手を合わせて、指を絡める。イオンに合わせたため視線の少し下にある手と手は、あまりにも違うものだった。俺の手は骨ばっていて、筋が見えている。合わさった手は、白く細く滑らかなだった。当然サイズは自分のものより小さく、簡単に折れてしまいそうに思えた。坤を振るう姿を知っている、拳を交えることなんて毎日のことなのに、そう思えた。
俺とは違う、おんなのこの、手だ。
「……お兄?」
控えめにイオンが呼ぶ。白い手に釘付けだった目線を移せば、涙で濡れた瞳が目に入る。ぼんやりと、綺麗だなと思った。
不安気に震える声を止めたくて、左手をイオンの腰にまわす。決して女らしくはない身体は腰も細く、簡単に腕がまわってしまう。少しだけ、自分の方に近づけた。
イオンはおとなしく、右手を俺の心臓の上に当てる。これで準備は整った。
腰にまわした腕に力を込めて、更にイオンとの距離を詰める。吐息がかかるくらいにまで、互いの顔を近づけて、言葉を紡ぐ。
「剣を振るうこの右手にかけて」
「坤を振るうこの右手にかけて」
体温の高いイオンの手を強く握った。心臓の上に置かれた右手は、小さく震えていた。その震えを止めたくて、まっすぐにイオンを見つめて言葉を紡ぐ。誓いの言葉を。イオンが望み、己も望んだ言葉を。
「イオンの傍に、一生いると誓う」
それなのに、それなのにイオンの瞳からはおさえ切れなかった涙がこぼれて、頬を伝う。嬉さに泣いたのならば歓喜したのに、その姿はまるで叱られた子どものようだ。
「……その、誓いを……受け入れる」
喜ぶと思ったのに、なんでまだ泣くんだ。本当に、困る。元からイオンがどうすれば元気になるのかと考えるのは苦手だ。いつも笑っていたから、たまにこうして沈み込むと始末におえない。
「誓いを破るときには、その右手を受け入れよう」
「誓いが破られたときには、この右手で報いよう」
「ディクスン・ノクト・ルッカフォートの名に懸けて」
「イオン・ルッカフォートの名に懸けて」
言葉の終わりとともに唇が閉じられると、続いては蜂蜜色した目も瞼のうちに隠された。く、と上げられる顎。イオンにはきっとそれが精一杯で、そこから先は俺に委ねられた。
自然と、手を掴む右手と腰にまわした腕に力が入る。ゆっくりと顔を近づけて、残るは1cm。長い睫が震えている。目じりには水滴が溜まっていて、今にも零れ落ちそうだ。気づいたら、両の瞼に順番にキスを落としていた。
ぴくん、と震えて開かれる目。大きく瞬きをして、俺を映す。舐めたら甘そうな目には俺の顔しか入っていなくて、頬がゆるむ。
少し離れてしまった顔をゆっくりと近づけていけば、慌ててイオンが目を瞑る。ぎゅっと瞼を閉じて、絡められた左手にはガチガチに力が入っていて、それを可愛いと思う。
ずっと見ていたいけれど、誓いのために視界を閉ざす。
触れ合うくちびる。触れ合わせるだけのキス。
叶うならば今は隠された蜂蜜を甘くとろけさせたい。唇を割り開いて舌をもぐりこませたらどんな反応をするのだろうかなんて、誓いの儀式に不釣合いな、薄暗い想像をした。
儀式には不似合いなほど、ゆっくりと時間をかけて重ねた唇をはなす。目を開ければ、間近にあるイオンの頬を伝う涙は未だ止まっていなくて、衝動的に舌を這わせた。
涙が通った筋を顎から瞳にかけて舐めとっていく。目じりにたどり着けば音を立ててキスを落とした。反対側も同じようにレロ、と舐めていく。ぱしぱしと音がするくらい長い睫が瞬きをするが、もう涙はこぼれてこなかった。その様子に満足してキスを一つ。
本当はもう一度、唇にキスしたかったけれど我慢した。俺に何かを我慢させるのなんてイオンくらいだ。イオンは絶対に気づいてはいないだろうけど。
「お、兄……?」
「ん?ようやく泣き止んだな」
「いま」
「たのむから、もう泣くな」
もう何も言うな。どうしてなんて聞かれても答えられない。
ようやく涙を止めたイオンを抱き寄せる。その勢いで、肩口に埋まる揃いの色した髪に唇をよせた。何か言おうかと思ったけれど、普段からあまり使わない口はろくに動いてくれなかった。
「お兄」
先ほどよりははっきりとした声でイオンが呼ぶ。さらさらと髪を流して、顔を上げた。手と手を絡め合わせたまま、腰を抱き寄せただけだから、ゼロ距離からすぐに遠ざかる。いつもよりずっと近い位置にいるのはわかっている。だけど腕の中にいるくせに、距離が開くのをとてつもなく不満に思う。
イオンはそんな俺の気も知らず、足の間にぺたんと座った姿勢から腰を上げて俺を見下ろす。腰にまわした手は自然と身体のラインに沿って下りてきて、太もものあたりに落ち着いた。
何をする気だ?
イオンを見上げることは、あまりない。それが新鮮で、見上げた先に頬にが赤みが差していて、嬉しくなった。
この先どうする気かとイオンを見つめていれば、視線を右に左にと少しさまよわせていたが、一呼吸するとゆっくりと顔を近づけてくる。
重力にしたがう髪が俺の顔にかかる距離。イオン以外に何も見えない。
「め、とじてよ。お兄」
甘さを増した蜂蜜に逆らえない。
視界を閉ざせば触覚が鋭さを増す。
熱を分けられる前にはなされる唇は、間違いなく額に落とされていた。
「しかえし」
金糸の間からのぞく耳は真っ赤で、俺の頬が熱いのは絶対にイオンの熱が移ったからだ。あんな、お子様がする「おでこにちゅー」なんかに、こんなに感情を乱されるはずない。
それなのに。
「イオ…」
気づいたら口走っていた名前。それをさえぎってイオンの右手が後頭部に回された。そのまま体重をかけられ、ボスンとベッドに二人して沈み込む。
柔らかな膨らみが顔に当てられていて、身動きできない。
俺の真上にいたイオンは少し身体をずらして横たわるが、それでも右手は離さずに俺を閉じ込める。左手は相変わらず俺の右手と繋がっていて、楽な体勢ではないのに解かれることはなくて、それだけでイオンの意味不明な行動だって許してやれる。俺の左手はイオンの下敷きになっているけれど、仕方ない。離す気がないのは俺も同じで、より熱が伝わるように抱き寄せた。
イオンの行動はわけがわからないけれど、こうして傍にいて、互いの体温を感じられる幸福を、俺は全身で感じていた。イオンも同じならばいいと思った。
それなのに、イオンは。
嘘を欲しがって、俺の本気も望みも祈りも全部まとめて夢にした。

「お兄、これは夢だよ。夢の中で、お兄はイオンのわがままを聞いてくれたの」

ガツンと頭を殴られた気分だ。顔を上げて非難しようとすれば、イオンの笑顔が目に映った。幸せと悲しみが混じった顔。
「わがまま聞いてくれてありがとう、お兄」
「イオン…」
ゆっくりと指が解かれる。持ち上がった左手が、俺を包み込んで閉じ込めるかのように後頭部に回る。
「お休み、お兄」
温もりを失った右手をイオンの背に回す。ぴたりと身体を重ね合わせ、顔を見せないイオンの耳に囁く。
ぴく、と跳ねる肩を宥めるようにくちづけて、伸ばした首をもとにもどす。
小さいけれどやわらかい胸。とくん、と音を立てる心臓の音を聞きながら目を閉じた。
朝日が差したらさっきの言葉をもう一度言おう。
もう泣かせない。夢になんてさせない。俺の愛しい、妹。





[ end ]







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