まだ低い空の下で、それでも天候にだけは恵まれた日。
卒業証書を持った先輩達はみんな揃って学ランのボタンを全部失くして、少しだらしない恰好で写真に写った。
小春先輩と第二ボタンの交換っこをしていたユウジ先輩が少し羨ましいなんて女々しいことを思いながら、それでもおめでとうございますと言ってやる。
「ほな移動すんでー」
白石部長の号令で混み合う校庭を横切って行く。あちこちから声をかけられるせいか、自然と数人ずつに固まることになる。
当然のように謙也さんの隣を歩くのも、今日でおしまい。
たとえば今日ならば、告白してもいいだろうか、なんて考えていたけれど、告白ラッシュが続いてくたびれていたこの人に、もう面倒をかけたくなかった。
「謙也さんが、先輩のなかでいっちゃん好きでした。今までおおきに」
逆光のせいか、謙也さんの表情は窺えない。だから俺は、明るく笑っている、悔しいけれど大好きな謙也さんの顔を想像した。

そして謙也さんは高校生になって、俺は今まで通り部活に打ち込んで、少しずつ連絡を取らなくなっていく。
当然のように毎日やりとりしていたSNSも最終投稿日がどんどん過去になっていって、トーク画面を何度開いても、会話を何度さかのぼっても、結局今送れる話題が何も思い浮かばない。
返信が来なかったら、なんて想像だけで指が動かなくなるなんて本当に馬鹿みたいだ。
謙也さんに奢ってもらった、あの、電車を乗り継いだ先にある店の善哉が無性に食べたくなって家を飛び出す。
久しぶりに入った店内はなにも変わらなくて幸せだったあの頃に戻ったようだった。
それなのに、まるで指定席みたいにいつも座っていたテーブル席には、全然違う謙也さんがいた。
金髪じゃない謙也さんが誰かに向かって笑ってる。
こちらに背を向けているけど、おんなのひとだ。
そこは おれ の ばしょ だったのに!






「財前!?財前!!」
肩を激しく揺さぶられて顔を上げると、眉を八の字にして困り顔をした謙也さんがいた。
金髪で、いらちで、手を引いてどこにでも振り回す、俺の知っているいつもの謙也さんだ。
「好きです、謙也さん」
誰かの掠れて聞き取りづらい声が聞こえた。
「好き。好きなんです」
目の前が歪んで見えづらいのが嫌で目をこする。
後から後から溢れてきて、全然止まらない。
「財前っ」
ガタン、と椅子の倒れる音と同時に、体温の高い手に両手を捕まえられた。
空いている方の手で目元を撫でられて、触れられたところが過剰に反応するのを止められない。
「乱暴にこすったらあかんよ」
あぁこれは、なかったことにされるパターンか。
なぁ、練習しておいてよかったやろ。
「………おおきに」
「うん」
「もう、目こすらんし、手ぇ放してや」
「ん」
解放された手は温もりを失って冷えた空気にさらされた。
カラカラの喉を鳴らして唾を飲み込む。いつも次になんてゆうてたっけ。あんなにシミュレートしていたのに急に言葉が出なくなって、困った。
「財前」
いつもより優しい謙也さんの声が、耳元で聞こえた。
「………は?」
近すぎる金髪と、学ランの肩越しに見える部室のロッカーと、密着して伝わる体温すべてに混乱する。その代わりなのか、涙は止まって視界が急にクリアになった。
「俺も好き。めっちゃ好き。財前」
ぐりぐりと米神に懐かれる。
過剰なスキンシップはいつも通りで、俺は嬉しさを隠して、近いキモい離せやっていうのがいつものパターンだ。でも今は、なんて言った?
「あーめっちゃ嬉しい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて苦しい。だから多分、夢でも妄想でもないんだろう。それなのに現実味がまるでない。シミュレーションの方がよっぽどリアルだった。
「け、やさ………」
「すまん、苦しい?」
無言で頷けば少しだけ、力が緩められて顔が見れる距離になる。それでも肩に回された手はそのままで、やけに熱い。
「お、涙止まったやん。よかったなー」
にこにことまつ毛に溜まった水滴を払われて、そのまま頭を撫でられた。
「そんで?泣いて起きて告白するなんて、どんな夢見てたん?」
有無を言わさない笑顔に、あ、これ言うまで問詰まられるパターンや、と認識するのは早かった。
細めた瞳でじぃっと見つめられる。その瞳の色が、湯気の向こうの出汁のきいたおうどんの、透明に近い黄金色のつゆを急に想起させて、また一緒に食べに行きたいなんて場違いなことを考えた。
ちょっとお高い善哉もおうどんも、コンビニのおでんも肉まんもカップ善哉も、卒業と同時に一緒に食べることなんてなくなるんだと思っていた。
「………が悪い」
「ん?」
「謙也さんが、俺やなくて、なんやよう知らん女と一緒に、善哉食べに行ってんのが悪い」
ぼやけた視界の中、それでも目の前の男が大きく瞬きをした後に目を細めたことがわかった。それぐらい、わかりやすい顔だった。
「あ〜それはすんませんねぇ?」
にやにやすんなや!って、いつものように言いたいのに、言葉にならなくて胸板を左手で叩く。
俺の抗議なんて知らないふりで、また、ぎゅっと抱きしめられた。
ばくばくと音を立てる心臓の音も、熱を持った顔も謙也さんに埋もれて見えなくなっていればいい。
「電車乗って行かなあかんとこやろ。財前以外連れていかんて。安心し」
「………そこだけじゃなくて」
「うん」
「あのおうどん屋さんもダメですよ」
「うん。約束するよって。ほんでこれからさ、善哉食べに行こうな。初デートしよ」
子どもにするかのように、とんとんと背中を叩かれる。
「まだ、なんか不安?」
あぁそういえば。この人はいつも甥っ子のような突拍子もない言動をするけれど、一つしか違わない学年を盾に年上然として振る舞うことがあるんだった。
そういう声音を出されるともうダメで、いつもとは逆に俺が子どものようになってしまう。例えばおばけの絵本に怖がる甥っ子みたいに。あの夢が、自分で勝手に想像した未来が、怖くて仕方なかった。
「もっかい、言うてください」
こんなのいつもの俺じゃないし、女々しすぎて嫌いだ。それでもそんな俺でも、謙也さんはなぜかとても嬉しそうに頬を緩ませている。
「なんぼでも言うたるよ。愛してんで、光!」
調子に乗って呼ばれた名前と音もなく塞がれた口唇に、あれ、なんや余裕やない?なんで?なんて思ったのは一瞬で、はよ行こ、ってきらきらした大好きな笑顔で手を引かれたら、幸せすぎてもうどうでもよくなってしまった。
はやく謙也さんと一緒に、大好きな善哉が食べたくて仕方ない。





[ end ]








inserted by FC2 system