甘い牙


カラリ、とこの窓はいつでも滑らかに開く。記憶にある限り、鍵がかけられていたことはない。ただ単に、鍵をかけるのが面倒なだけかもしれないが。
それでも俺は、この窓が抵抗なく開くたびに安心する。とてつもなく、不本意だが。
小綺麗に片付いている部屋の主は不在。電気は付けぬまま、月明かりに照らされた室内を見渡し、何の変化もないことを確認した。
何もなければ、向かう先は毛足の長いマットの上、大きなクッションと肌触りのいいブランケット。
言ってしまえば、俺のスペース。不本意なことこの上ないが、蔵馬が揃えたこの3つは気に入っている。
幽助と桑原がこれを見て、「飼い猫甘やかす飼い主みてぇ」などとホザいたことは許せんが、それに腹を立てて燃やすには惜しい。
ぽす、っとクッションは音を立てて俺を受けとめる。ブランケットをたぐり寄せて、むかつく話は忘れよう。俺の仕返しに慌てふためく奴らを、散々笑ってやったことだし。



部屋のドアは音を立てずに静かに開いた。気配で俺が来ていることに気付いたんだろう。
蔵馬が帰ってきたことはわかったが、目を開ける気がしない。もう少し、寝たい。
「おかえり、飛影」
蔵馬はいつも俺がこの部屋にくるとそう言う。幽助たちには「いらっしゃい」と言うくせに。そして俺には「ただいま」と言えと言い募るのだ。意味がわからん。
身じろぎすれば微かに笑ったようだった。
「ほんと、そうしてると猫みたいだね」
野良猫さんはそろそろ俺に慣れてくれたかな?
軽くいいながら、近くに腰を下ろし手を伸ばしてくる。
髪を撫でる手の感触が心地良い。
だが次第に手は頬へと進み、唇に触れてくる。
薄く唇を開けば、縁をなぞりだす。行っては帰るその感覚にしばらく耐える。頬がゆるまないように気を付けて、抵抗の意志がないように錯覚させる。もう少し。
指がちょうど唇の真ん中辺りにきたのを感じ、口を開いて甘く噛む。
「―――っ!?」
息を飲む音に今度こそゆるんだ頬を隠せない。
目を開けて碧の双玉を見据え、口内の指を強く噛んだ。
広がるのは血の味。
口内から引き出された指は俺の唇をなぞる。薄い粘膜をつけられる感覚。きっと唇は紅に染められているだろう。
「まだ、懐いてくれないみたいだね」
噛まれた指を痛がるそぶりもなく、綺麗な笑みでそう言った。



そうでもしないと飽きるだろ。
だから、牙を研ぐことは止めず血が流れるまで深く噛む。



突き刺さる牙は甘かった。
口内を苛む血は甘かった。










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