03.偶然も必然も関係なく


さて、どうしようかな。

中庭での秘密の約束。
その後すぐに咲世子が現れてナナリーは室内へと戻っていった。
一人残されたスザクが寄りかかるのは、大木。
中々の年月を過ごしただろう幹は太く逞しく、預けた背がずるりと滑っていく。
考えるのは、これからのこと。

言われた通り、書庫で勉強をする?
いや、それでは彼に勘違いをさせてしまう。自分が学ぶのは、自分のためだけでなく彼のためでもあるべきなんだ。正確には、彼のために役立てられるように。
そう思っているのに、見知らぬ高位にある皇位継承者に会うためだと思われるのは、嫌だ。
ならば体でも動かすか?
これが一番現実的な気がするけれど、生憎と整えられた庭には手ごろな一振りは落ちていそうにない。
剣術に拘らなくても体術で型の練習をすればいいのだろうけれど、それはわかっているのだけれど。
とても、眠いんだ。



「咲世子さん、お兄様はどちらにいらっしゃいますか?」
「ナナリー様、気づいていらっしゃらなかったのですか?先程スザク様が立たれていた側にある木、あの上にいらっしゃるように見受けられたのですが」
「あぁ、あの木はお兄様のお気に入りの木ですものね。でもきっと、お兄様は寝ていたと思います。だって、私が気づかなかったんですから」
「落ちてしまわないでしょうか」
「スザクさんがいるから、きっと大丈夫です」
「そうですね。…あら。スザク様も木陰でお休みになったみたいですよ」
「もしかして、二人とも気づいていないのでしょうか」
「そのようですね」
「では咲世子さん。アフタヌーンティーの準備をしませんか」
「はい。きっと楽しいお茶会になりますよ」

窓から見える二人を眺め、咲世子はゆっくりと車椅子を押す。
向かうのは厨房。
スコーンにジャム、クリームを用意してそれからお気に入りの茶葉も選んで。
暖かな日差しが二人の心も溶かしてくれるように祈りながら。



「ん…」
小さく漏らされた声に、まどろんでいたスザクは一気に覚醒する。
素早く身を起こし辺りを確認するが、敵意は感じられない。代わりに、感じるのは人の気配。
「んっ」
再び聞こえた声の後、肌が感じた警告に従いスザクはその場を瞬時に離れる。
落ちてきたのは。
ゴッ
鈍い音を立てて地面にめり込む、本。
「ほ、ん?」
本。表紙は布製なのか少し擦り切れていて年代を感じさせている。群青の地描かれた黒味がかった金字が重厚な、本である。
落ちてきた、ということは人の気配があるのは、上。
幹に近寄り、見上げた先に居たのは。
「ルルーシュ、様?」
そこに居たのは、自室にいるとばかり思っていた、主。
印象的な紫水晶は今はその輝きを隠し、瞼の内側。
呼吸は穏やかで心地よい眠りの中にいると思われる。
スザクは無意識に詰めていた息を、吐き出した。
疲れているのか、と思う。ゆっくりと休めていられたのならいいと思う。
そんな主を思う気持ちの中、黒い一点は。
「まさか僕が人の気配に気づかないで転寝しちゃうなんて」
こんなんじゃ騎士になれないなと苦笑する。ちゃんと主の気配を覚えなきゃ。
「よしっ」
ふっと息を吐き出し、主の姿を一度その目に納め、幹に背を向ける。
周りに糸を張り詰めるように、感覚を研ぎ澄ます。誰が来ても何が来ても気づけるように、守れるように。

「っ!?」

そう、思ってしたことなのに。
なぜこうも上手くいかないんだろう。
安心して眠っていてもらいたかっただけなのに。その眠りを守りたかっただけなのに。
守るということが、こんなにも難しいことだなんて知らなかった。

「ルルーシュ様!?」

何かに驚いて目覚めたルルーシュは、恐らく自分がどこにいるかという意識が欠落していたのだろう。バランスを崩し、手が、足が、宙をかく。
ルルーシュが最後に見たのは、見慣れた枝と鮮やかな新緑。木漏れ日が、とても綺麗だった。
それが最後。衝撃を覚悟して、瞳を閉ざす。受身を取るような余裕もなく、読みかけの本はどうしただろうかと、そんな益体もないことに思いを馳せた。
どこかで自分を呼ぶ声がした気がしたけれど、それは知らない声だった。それなのに、知らないんじゃない、拒んだんだと誰かの嗤い声が聞こえた。



「…様っ。ルルーシュ様!」
みどりいろ。
ぼやけたルルーシュの視界が認識したのは、その一言。
数度、瞬きを繰り返せばようやく焦点が合う。
「ルルーシュ様!お気づきですか!?」
なんだかここはとてもあたたかい。
まだ回転しない頭ではそんな感想しか抱けない。
「ルルーシュ様?」
目の前にいる人はとても真剣そうで、きれいなみどりいろの目をしている。跳ねたちゃいろのくせっ毛は、やわらかいだろうか。
ぼんやりとした意識の中で、浮かんだ疑問と欲求に忠実に行動する。
機敏には動かない左手を伸ばして、髪に。
「やわらかい」
数度、触れる。
目の前の人が息を飲んだのがわかる。
なぜ?
「――――っ!?」
覚醒は突然。
目の前の人は枢木スザクだ昨日来たばかりの騎士候補で自分の騎士候補だと言っていた昨日自分に跪いた今日自分が拒否をした。
その、相手に、何をした!?

この腕で抱きとめた人は落下の最中に意識を手放したのか硬く目を瞑っていて、目覚めないのではと不安になった。
声に反応して現れた紫に、安心したと同時にとても綺麗だと何回だって見蕩れてしまう。
まだ意識がはっきりとしないのか、ぼんやりとした眼差しとゆっくりとした動作で伸ばされた指は、先程妹姫が触れたように優しく僕の髪を梳いた。
やわらかいと、ふわりと微笑みをひとつくれた。
その時、僕の時間は確かに止まったんだ。
抱きしめたいと、思ってしまった。
この人は守りたいと思った主のはずなのに。
彼が覚醒してくれて本当に良かった。そうでなければ、きっと強く抱いていた。

「…っなぜ、お前がここにいる」
口元を覆い、ルルーシュはスザクから少し離れた位置にいる。
「木陰が気持ち良かったものですから、転寝を」
ナナリーと出会ったことはもちろん言わず、勝手に護衛のようなことをしたことも伏せておく。
「お前、何をした?」
「は?」
鋭い視線に怯みそうになる。やましいことがあるだけ、余計に。
「俺は、普通に人が寝ているだけじゃ起きない。何か、しただろ」
何か、とは。まさか。
「すみません。ルルーシュ様が居られるのに気づいたので、護衛をと」
漏らされるのは、ため息。
「そんなことをする必要はない」
何もかもが裏目に出てしまう。
守りたいと思っただなんて、ただの自分勝手な感情でしかないのだ。
消沈するスザクに、ルルーシュの良心は呵責を訴える。
ルルーシュだとてわかってはいるのだ。彼が、自分を思ってしてくれたことだと。
だから、今まで誰にも言わなかったことを告げる。はじめてだとは、絶対にわからないだろうけれど。
「…俺は、護衛とか、暗殺とか、そいつらが持つ緊張感が苦手なんだ」
ずっとずっと、苦手だった。息をするのも気を使うほど、命令された人間の持つ緊張感が。
自分を守るのも殺すのも変わりは無い。あの息苦しさを感じたら、睡眠薬を飲んでいようが体は覚醒すると思う。
スザクを見れば、瞠目、していた。
視線が交じれば、慌てて伏せられる。
「知らなかったとはいえ、お休みの邪魔をして、申し訳ありません」
もし知っていたら、気づかぬ振りをして立ち去るのだろうか。
「べつに、いい」
べつに、いいんだ。どうせすぐいなくなるんだろう。
「受け止めて、くれたんだろう?怪我はしなかったか」
ルルーシュの言葉に僅かに目を見張ったスザクの反応は、ルルーシュの目には不思議と思えた。
何かおかしいことを言っただろうか?
「自分は問題ありません。それより、ルルーシュ様は」
「お前がいたからな」
騎士候補としての教育を受けていないのに、護衛をしようとして、落ちていた自分を受け止めた。
「なぜたまたま宛がわれた主のためにそこまでする?」
そう、初日もそれが疑問だった。
自分に跪いても得はないと言ったはずだ。これが皇位継承権の高い位置にいる主ならわかるが。

ルルーシュのその言葉に、スザクはやはりわかってもらえていなかったのだと痛感する。
わかってもらうためには、どうすればいい?
誓いの言葉も跪く行為も、そのためならば何度でも出来るのに。
でもできるなら、この言葉で信じて欲しい。

最初はブリタニア皇族に仕えて日本を少しでも守れればいいと思っていた。
でも今は、仕えるのは貴方がいい。



「枢木スザクが、ルルーシュ様に仕えたいと思ったからです」



もう、偶然も必然も関係ない。





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