[3] 王子は盗人と衣装を交換しなかった


シン、と静まり返った店内。
店主は既に店の奥へと消えている。
店内にいるのは、スザクと、それから。

カツ ン

スザクの目には、もう宵闇姫しか映っていない。それ以外を認識していない。興味が持てない。
それなのに踏み出す一歩がひどく慎重なのは、緊張しているから。
テーブルに指をつき、ゆっくりと近づく、薄布で幾重にも守られた姫君の元。

彼が、目覚めてくれたなら。

「よいやみひめ」

その、瞳の色を知ることができたなら。

仕事も戸籍も地位も何もかも放り出して。
邪魔なドレスなんて剥ぎ取って抱き上げて連れて逃げるのに。

「おきて。よいやみひめ」

ゆっくりと頬に手を伸ばす。
低い体温。けれど温もりがないわけではない。
透き通るように白く瑞々しい肌。

薔薇色に染まらない、頬。
上がらない瞼。
開かない、形の良い唇。

「よいやみ、ひめ」

おきてくれない、おひめさま。
わかったことは、彼の瞳の色ではなく、僕は王子になれなかったということ。
みっともなく足掻けば僕を見てくれる?

いや、とスザクはかぶりを振る。
きっと、それではダメだ。

大きく息を吸い、吐いたスザクはその腕はゆっくりとお人形の背中と膝裏に回す。
邪魔なドレスはお人形を上手に守る。
スザクは一度だけ、彼の閉ざされた瞼にキスを贈った。
それは憧憬の、くちづけ。
焦がれてる。あきらめきれない、瞼の内側の光。

けれどスザクは扉に向かい、一歩踏み出した。先程よりも、余程確かに。



「よろしいのですか?お客様」
いつの間に戻ってきたのか、店主の声がスザクを射る。
「僕は王子様にはなれませんでしたから」
「おや?諦めてしまわれるのですか」
クスリ、と落とされる笑みは、嘲笑ではない。探るような、子どもが新しい玩具を見つけたようなそれは。
返すスザクは、先程までの泣きそうな子どもの声とは一変した、はっきりとした声。
「あきらめませんよ」
あきらめられるわけがない。絶対に、彼を目覚めさせてみせる。
彼が社長室に鎮座するというのならば、社長室に行ける様になるまで。
目覚めさせるのは、目覚めさせられた、僕だ。

「ミルクと砂糖菓子がなくなったらまたお越し下さい。サービス致しますよ」
微笑み、店主はお人形を抱えるスザクのために扉を開けた。

不思議と、ベルの音は聞こえなかった。



開演のベルが鳴り終えて上がる幕の内側にいるのは、誰?





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