[4] キップを何枚切りましょう?


スザクがお人形を抱えて出てきた時のロイドの顔は、なんとも言えないものだった。
つまらないというわけでもなく、やはりというわけでもなく、かと言って馬鹿にしているわけでも納得しているわけでもない表情。
「ふぅん」
そう言って助手席側のドアにもたれていたロイドは長身を姿勢悪く曲げて、後部座席のドアを開いた。
まるで運転手のように。
「どぉぞ、オヒメサマ」
スザクはそれに軽く頭を下げて座席についた。お人形がどこかにぶつからないように、細心の注意を払って。
バタン
ぞんざいに閉められたドア。スザクはもう一度、ドレスの裾がひっかかっていないかを確認してから、柔らかくお人形を抱えなおす。
例えば大切な壊れ物のように。
「いい心がけだねぇ。ソレ、君が何年もただ働きしないと稼げないくらいのお金かかってるから、気をつけなよぉ」
スザクの行動の意味をわかっていながら、あえてロイドはそう笑う。
社長が性悪ならこの人は何と形容すればいいんだろうか。
少し眉根を寄せたスザクは、しかしこの1時間程度の移動時間しか彼と一緒にはいられないことを思い出し、その白皙の顔を見つめて表情を和らげた。
そう、今は彼のことだけ見ていよう。
今はまだ、彼を目覚めさせることはできないから。

そう思って、いたのに。
幸運は不運と同じくらい突然に、やってくる。



ブーッ ブーッ ブーッ
カーラジオもCDのかかっていない静かな車内に響く音。
ブーッ ブーッ ブーッ ブーッ ブーッ
「・・・ロイドさん、鳴ってますよ」
「知ってるよぉ」
「なら出て下さい」
「別に気にならないでしょぉ?オヒメサマは起きないし、君はオヒメサマのご尊顔に夢中だしぃ?」
それとももう飽きた?
軽口の間も続くマナーモード。
「飽きません。仕事用のケータイが鳴ってるんだから、ちゃんと出て下さい」
「なんか君、セシル君に似てきてなぁい?うわーやだなぁ。マザコンの気があるかもよぉ?君」
「ありません。セシルさんがいないから、いつもセシルさんが注意してくれてることを僕が言ってるだけです」
「部下が勤勉で助かるよぉ」
「ロイドさん。切れる前に」
「はいはぁい。出ればいいんでしょぉ」
ごそごそと胸元を探り、取り出したケータイを耳にかける。幸いにも、電話の向こうの相手は辛抱強かったようだ。
それほど大事な用件か、はたまたロイドの性格を熟知している人間か。
「はぁい」
間延びした声で、応対したのに。

一瞬後には、後部座席に冷気が感じられるほど、ロイドの機嫌が急降下した。
思わずスザクはその冷気から守るようにお人形を抱きしめる。いや、実際には車内温度は変わらないのだが、体感温度は確実に5℃は低くなった。
「は?何ソレ。こっちはもう終わったんだけどぉ?」
がくんっ
「わ」
窓から見える景色が変わるスピードが、上がった。
ウィンカーは右。目ざとく点滅を認めた瞬間、身体は反射的に遠心力に負けないように踏ん張った。
傾ぐ上体。
「ロイドさんっ今信号」
確実に赤だった。
「はあぁ?寝言は寝て言ってくれないかなぁ。こっちは実験放り出してお使いに行ってあげてるんだけど」
急激な路線変更にクラクションが追い越した車から放たれた。
それでもお人形は相変わらず緩やかに瞼を閉じたまま。
「子どもの使いじゃあるまいしさぁ。わかってる?」
「ちょっロイドさん!」
両手でお人形を抱きしめているスザクは前後左右に振られるばかり。お人形を手放さずにシートにきちんと座っているあたりが、常人とはかけはなれていてどこか滑稽だ。
けれどそれも時間の問題。
スピードは落ちないと判断したスザクはお人形の膝裏に回していた手で助手席を掴み、肩を抱いていた手を腰に回して黒髪を胸に預けさせるようにして抱き直した。
あっさりと腕が腰を回ってしまうことに、華奢だとドレスに守られた体躯を感じながら。
「あぁはいわかりましたよぉ。飛行機が落ちるように祈ってるから。あとは交通事故ぉ。そんな首でも落ちれば喜ぶ人間がいっぱぁいいるんだからさぁ、世界平和のためにもとっととあげちゃえばぁ?」
キキキィーっ
絶対今タイヤすり減った!ブレーキ痕もくっきりだよ!
腕の中の彼を守るのに精一杯で外を見る余裕もないけれど、確実に道路交通法を無視してUターンしたことははっきりとわかった。
この車、会社名、入ってるんだけど。
すみませんセシルさん。僕にはロイドさんを止める力はありません。
今はいない、笑顔で上司の顔に青あざを作る女性に、スザクはそう詫びた。
「わかってるだろうけどぉ僕のとこになんて置かないからね?丁度いいのが一人いるから、そこに置いとくよぉ。もちろん異論なんてないよねぇ?まぁ納得しないならネットオークションにかけるまでなんだけどさぁ」
会社への道のりをUターンで拒否した車はどこに向かっている?
首を伸ばして見つめる過ぎ去る風景。スザクにはどこか、見覚えがあった。
「りょぉか〜い。本体以外は僕が保管しておいてあげるよ。じゃぁテロリストに祝福があることを」
ぶちんっ
そう音がするくらい乱暴に、通話ボタンは切られた。

「はぁいとぉちゃく〜」

キーッ
盛大にブレーキを踏んで車が止まった先は。
「え、ここは」
僕の、家。
「正解〜。狭いけどそこそこ綺麗にしているであろう1LDKを借りてる枢木君に朗報だよぉ」

「おーめーでーとーおー。オヒメサマの買い主が出張中の1週間、君がオヒメサマの飼い主、ねぇ」
細められたレンズの奥の目。これは夢?1週間も、一緒にいられるなんて。嬉しいと実感できないほど、信じられない。



歪んだ唇で滑り出したのは、どんな物語のはじまり?





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