夢の雫 3


( DX side )

さて、どうしたものか。
部屋についてとりあえずはベッドの上へ。壁に背をあずけて、イオンを膝の上に乗せて向かい合わせに抱いている状態。動物の親子かよ、と思いながらぽんぽんと背中を叩いてやってはみるが、泣き止む様子は一向にない。
六甲はガラスのコップに水を入れたかと思うと、逃げやがった。
…というと語弊があるか。いやでもイオンから逃げたことは逃げたよな。あいつは気をきかせたつもりなんだろうが、お前がいなかったら誰が俺を止めるんだ。頭が痛い。
「ひっひっく……うぅ」
「イオン」
「ごめ………なさっ」
「怒ってない」
「…っ、そ。うそぉ…おっおにぃっあ、あ、あきれてっ……るぅ」
「呆れてない」
「そ、つきぃっ……ひ、ぅ」
喋りながら泣くもんだから、呼吸も上手くできなくなっている。うそつき、と俺を詰ったあとは言葉にならずに、また嗚咽する。シャツはイオンの涙でしっとり濡れて、更にぎゅっと両手で掴まれているものだから皺が刻まれている。
胸元に押し付けられたイオンの額はほんのりと熱を持っている。俺と揃いの金色の髪が、嗚咽にあわせてサラサラと揺れる。エカリープを出るときに短くした髪は大分伸びた。一房掬ってみれば、思った以上に柔らかかった。芯はしっかりとしていて細いわけでもないのに、サラリと手から滑り落ちていく。
もっと触れていたくて、思うままに髪を撫でた。髪の色も、質も、揃いのはずなのに、イオンの髪ならばいつまででも触れていたいと思う。
「イオン」
気づいたら名前を呼んでいた。俺の大切な音。
だがイオンは嫌々をする子どものように、俺の胸元に頭を押し付ける。
「イオン」
「いかない、で。お兄……ずっとっふぁっ…ず、と、いっしょ、がっ…いいっ」
涙交じりのくぐもった声。ちゃんとその蜂蜜色した目で俺を見ながら言えば、どんなわがままでも聞いてやるのに。

イオンが望んでいるのは、「どこにも行かない。イオンとずっと一緒にいてやる」って嘘。宥めるための、その場限りの言葉を望んでいる。その言葉を言ってやれば、イオンは諦めた声して「ありがとう」と俺に返すだろう。まぁ、まがりなりにも婚約者がいて、あげくに玉階に王に推薦するなどと言われている俺が自分の傍にずっといるなどという言葉、信じられるわけもないのだろうけれど。
そこまで想像して、ため息が出た。
腕の中の小さい身体が、びくんっと跳ねた。
「おにぃぃ」
「呆れてない。今のは違う。というより、理由もわからないのに呆れられないだろ」
話してみろ、と言葉にせずに促す。イオンははくはくと小さく口を開閉して視線を彷徨わせる。けれどきゅ、と一度だけ唇を噛むと小さな声で話始めた。




(イオン side )

喉がひりひりする。鼻もツンとして痛い。上手に息を吸うことができなくて苦しい。
お兄がぎゅってしてくれてるのに、こんなに甘やかしてくれることなんて全然ないのに、でも涙が止まらない。止めなきゃ止めなきゃって思うのにどんどん出てきて止まらない。きっと壊れちゃったんだ。
お兄はすごく困ってる。困ってるし、呆れてる。きっと。
そう思って声に出したらもうだめで、ほっぺが冷たくて涙が落ちるたびにじんじん痛いし、目を開けても水が溜まってるみたいでよく見えなくなってるのに、奥から奥から溢れてくる。
「も、やだぁ…っく、とま、ないぃぃ」
けほけほ咳き込みながら八つ当たり。やだやだやだやだ。
お兄はもう一回ぎゅって抱きしめてくれて、それから頭がちょっと重くなった。けど重みはすぐになくなって、髪の毛だけが私からちょっと離れたみたい。
「ひ……っ、ぅ」
なんだろうってちょっと頭をずらしたら、それまでと違う感触がした。つめたくない。お兄のシャツの、まだ私が濡らしてないところだった。
とっても悪いことをした気がしてちょっと頭を離したら、お兄の手が私の頭を押さえて逆戻り。ぽんぽん、って軽く撫でられて、それからまた、髪の毛が。
撫でてくれてるのか、梳いてくれてるのか、お兄は何度も私の頭に髪の毛に手を入れる。
ソニアやチルダが、髪の毛をすごく丁寧にお手入れしてるのを毎日見てる。朝も夜もとっても優しくお手入れして、とっても綺麗にしてるのよ。
私、そんなの今までしてこなかった。
「イオン」
びくん、と肩が跳ねた。私の泣く音しかしないこの部屋で、お兄の小さく出した声は大きく聞こえた。
私、泣いてばっかだ。髪の毛だってきっとボサボサだ。夢に見た女の人は、きっと髪を綺麗に長く伸ばしてるんだろう。
気づいたらお兄のシャツに頭を押し付けてた。
「イオン」
やだやだ怖い!昔は全然平気だったのに、今だって、お兄が私の知らないトコに一人で行ってたって全然平気なのに、大丈夫なのに、あの夢が、どうしようもなく怖いの。
怖いよ、お兄。
涙の間に勝手に飛び出した言葉に、お兄の返事はため息だった。
「おにぃぃ」
「呆れてない」
私バカだ。
「今のは違う。というより、理由もわからないのに呆れられないだろ?聞いてやるから、話してみろ」
頭に回ったままのお兄の手が、私の顔を上げさせる。涙で歪んだ世界で、お兄の私より色の濃い目だけが見えた。
指が目元を撫でて涙を攫ってくれるけど、追いつかないよ。
頬を撫でられて、髪を撫でられて、ぽた、って涙がまた落ちた。
ぎゅって口を結んで、目も閉じて、ようやく出た声はびっくりするくらい小さかった。言葉を口にするのって、こんなに怖いことだったかな。
「おにいが、止まってくれなかった」
私、呼んだのに。たくさんたくさん呼んだのに、振り向いてもくれなかった。
「あー……もう少し詳しく話してくれ」
「呼んだっ、の、に」
「わかった。それで、俺はどうしたんだ?」
お兄?お兄は…。
「いっ、いっちゃ…たぁ。やなのにっ、呼んだのにぃ!……ッ、お、おんなの、ひととっどっかにぃぃ」
痛い怖い嫌だこんなの思い出したくない言いたくなかった!

耳の奥で誰かの大きな泣き声がしたけど、誰の声かわからなかった。




( DX side )

困った。それもものすごく。
イオンがあれだけ大泣きしてる理由は、「お兄が女の人とどこかへ行っちゃって、私が呼んでも聞いてくれなかった」ってことらしい。
それで「行かないで」か。
俺はわかったけど、お前わかってるのか?普通そんな夢でここまで泣かないだろ。
大体、こっちだってイオンと同じような夢を見てるんだ。俺がお前と同じこと言ったら、お前どうする気だ。

いや……そうか。
ティティが使うような魔法はできないけど、少しくらい真似事をしてもいいかもしれない。 腕の中のイオンが泣き止んで、安心してくれるなら。
「イオン。お前が見たような夢を、俺も見たんだ」
「……?」
「夢の中で、お前は男と一緒にいて、俺が呼んでも見向きもしなかった。それで、その男と一緒にどこかに行くんだ」
右手をまるっこい頭に添えて、顔が上を向くように誘導する。涙に濡れたイオンの目は、太陽の下でみる蜂蜜色よりももっと艶やかだった。
「俺にずっと一緒にいろって言うなら、お前も俺の傍にずっといるか?」
ぽかんと開けられた口。でっかい目はぱちぱちと瞬いて涙を頬に落としている。それでも新たなしずくは流れなくて、俺は安堵した。
こくん、とイオンの喉が動く。
「……る」
「うん?」
「いる。お兄の傍に、ずっといる」





≫ next







inserted by FC2 system