たとえば図書当番の日には、真摯にお断りされるシミュレーションをする。

図書当番の仕事で割と好きなのは、書架業務だ。返却された本を元の場所に戻すだけではなく、並び順を正していく。後者は別に仕事じゃないけど、順不同になっているのを見つけると、つい気になってしまう。
結構シブい本読んどんなぁなんて、どこの誰だかわからない利用者からの返却本にいちいち感想を返してしまうのはもう癖だ。小学校の図書室とは比べものにならない、けれど図書館のワンフロアと比べたら何分の一かしかない四天宝寺の図書室は、意外と蔵書があるように思えた。書架の高さもそれなりで、2段の脚立がいくつか用意されている。
右手にはそれなりに厚みのある本が3冊。背表紙に貼られたシールを頼りに、返却場所を探せば都合の悪いことに最上段だった。見える範囲に脚立がないので、仕方なく手を伸ばして隙間に入れてしまおうと、つま先立ちになる。
「あっ・・・くそ」
隙間を阻む、斜めになった分厚い臙脂の背表紙が憎い。金字のタイトルがすり減って判別できない程古い本に阻まれて爪先も左手もつりそうになる。
諦めるか、でもあと少し。
そんな葛藤をしつつ臙脂の背表紙に手持ちの本の角をぶつけていたら、すぐ後ろに熱い体温を感じた。
肘まで捲られたシャツから伸びる、少し焼けた肌が俺の髪を掠める。金色の文字に肉刺のある指が添えられて、本1冊分のスペースができた。
さっきまでの格闘が嘘のようにすんなりと入った返却本にほっと息を吐き、震えるかかとをカーペットに付けた。
誰か知らんがお人よしに一応礼でもするかと振り返れば、見慣れた金髪がにんまりと笑ってこちらを、見た。
「けん・・・っ!?」
「静かにせんと追い出すー言うたん誰ですかー?トショイインのザイゼンくん」
にやにやと意地の悪い顔に芝居がかった小声がむかついて足を踏んでやる。
「痛いって」
からからと笑う声はもういつもの大きさに戻っていた。
書架の隙間から見えるテーブルに生徒の姿はもうなく、遠くのカウンターに図書委員が一人と、貸出手続き中の利用者が一人で、あとは、俺たち二人だけのようだった。
「で、手伝ったった先輩になんかないんー?」
「背ぇ高いん自慢させたったかわえぇ後輩に、先輩こそなんかないんすか?あーなんや図書室いると喉乾いてくるなぁ」
「アホぬかせ」
軽く叩かれた肩。そのくせ、まだ終わらないん?なんて聞いてくる。
彼女迎えに来た彼氏か、なんて沸いた考えが浮かんで、自分の発想に一瞬で絶望した。
自分が女だったら、なんて考えたことがないわけではない。でもたとえ女だったとしても、その時はまず確実に謙也さんと接点なんてなくて、あの、テニス部の勧誘からすべてが始まった俺にとっては、もうこれが行き止まりなのだ。
「財前?」

「謙也さん。テニス部入ってからずっと、謙也さんが好きでした」
知らず、ぎゅっとカーディガンの裾を巻き込んだ手を握り締めていた。
じっと瞳を見つめ返されて、瞬きする隙もないくらいだ。きっと数秒もなかったはずなのに、やけに沈黙が重かった。
「それ、先輩として、とかそういう意味とちゃうんやな?」
謙也さんの一言で、ようやく息が吸える。
「はい」
「さよか………おおきに。でもすまんな、俺にとって財前は、かわえぇ後輩なんや」
「うん。わかってます」
そうだ、わかっている。わかっていて、振られて、楽になりたかったのは俺だ。
「聞いてくれはっておおきに」
「ごめんな」
「謝るんは俺の方です。すみません」
日の当たらないこのスペースはカーペットの色がやけに濃いな、なんて思いながら床を見つめる。
これでもう、一緒に帰ることも昼食を一緒に摂ることも休日に出かけることもなくなるんだ。
「あ―――今日は、先、帰るな。また明日」
「はい。さようなら」
楽になるはずなのに、やけに息が苦しかった。



「財前ー?どないしたん?」
あぁ、また謙也さんの不思議そうな顔だ。
「………上ずっと向いとったんに、急に他んとこ見たんで、なんやグラグラしました」
そんなに長い時間呆けていたわけじゃないだろうと適当に誤魔化す。こういうことばかり上手くなってどうしようもない。
「負けず嫌いも大概にしぃやー。本、結構重いやろ」
「や、別に………」
右腕が急に軽くなって、持っていた3冊は謙也さんの手の中へ。
「はよ帰ろ」
「ほな、左奥の棚の上から2段目につっこんどいてください」
「謙也さんにまかしときー」
ぽんぽんと頭を撫でられて、笑顔で本を持っていかれる。それだけで何度失恋したってすぐにまた好きになるから、本当に救いようがない馬鹿だ。





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